の》んで、ちょっと話にかからない。蒲留仙はゆっくりと淡巴菰の煙を吹かす。
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葉生 その話はね、先生、周立五《しゅうりつご》という男の話ですがね、その男は、顴骨《かんこつ》がひっこんでて、頤《あご》がすっこけ、口鬚《くちひげ》も生えないで、甚だ風采《ふうさい》のあがらないうえに、三十二になっても、童子の試にとおらないという困り者でしたが、お父さんに随《つ》いて荊南へ行って、南城の外倉橋の側に宿をとっていると、夢に雉冠絳衣《ちかんこうい》の人が来て、その人は右の手に刀を持ち、左の手に鬚のある首を持っているのですが、その人が周の榻《ねだい》の前へ来るなり、いきなり周の首を斬って、手に持っていた首と易《か》えて行ったので、周はびっくりしてお父さんの足にだきつき、大声をあげたから眼が覚めたのです、眼を覚して、首を撫でてみますと、べつに異状もないので安心したのです。【話し話し吸殻《すいがら》を吹いて、二ふく目の淡巴菰を詰め、それに火をつけて旨《うま》そうに吸い】ところで、その周ですが、それから数日すると、顴骨が高くなり、頤《あご》の骨が張って、そのうえ口鬚が生えてりっぱな顔になりましたが、それからまた一年半ばかりすると、また夢に鬚の白い黒い冠を着けた老人が、長い塵尾《ほっす》を持って、金甲神を伴れて来て、お前の腹を易えてやろう、といったかと思うと、伴れている金甲神が、もう刀を抽《ぬ》いて、周の腹を裂いて、その臓腑をだして滌《あら》って、もとの通りに収め、その上に四角な竹の笠を伏《ふ》せ、釘をその四隅に打ったが、その椎《つち》の音が周の耳に響くがすこしも痛くはなかったそうですよ。【三ぷく目の淡巴菰を詰めて、またそれに火をつけて吸いだす】そこで釘が終ると、老人は塵尾を揮って、「清虚鏡に似たり、元本塵無し」といったのですが、周の夢はそれと一緒に醒めたのですが、それから周の文学が急に進んで、終《つい》に侍講学士になったというのです。これは秀才のいったことですから、無学な旅人などのいった話と違いますよ。
蒲留仙 うむ、そうだろう、面白い話だ、いい話だ。
葉生 さっきの話とは違いますよ。
蒲留仙 違う、いい話だ。では忘れないうちに書いて置こうかね。
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蒲留仙は煙管を置いて左側を向き、静かに筆を執《と》って墨を含まし、一方の手に紙を持って、何かそろそろと書きはじめる。葉生はそれをじろじろ見ながらまた新らしい淡巴菰を詰めて喫《の》みだす。
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蒲留仙 面白い話だ。
葉生 その話はちょっと面白いでしょう。
蒲留仙 面白い、面白い、あれも、これも面白い。
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蒲留仙は頻《しき》りにうなずきながら筆を動かしている。葉生は黙って淡巴菰を喫みながらそれを見ている。
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蒲留仙 面白い、面白い。
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葉生は吸殻《すいがら》を吹きだして、かちりと音をさして煙管を置く。
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葉生 先生、今日はこれで失礼します、すこし急ぎますから。【と、起ちあがって、その時顔をあげた蒲留仙にちょっと会釈してから、はじめに来た方へ歩きながら】また、明日でもいい話を持って来ます。
蒲留仙 ああ、また頼むよ。
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蒲留仙はそのまままた俯向《うつむ》いて筆を動かしている。
李希梅がそこへ静かに入って来る。
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李希梅 先生。
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蒲留仙はうっとりした眼をあげる。李希梅はそれに向ってうやうやしく話をする。
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蒲留仙 李君か、よく来た、まァ掛けたまえ。
李希梅 はい。
蒲留仙 茶はどうだね、あげようかね。
李希梅 あとでいただきます、ほしくはありませんから。
蒲留仙 では淡巴菰は。
李希梅 は、今は、何もほしくはありませんから、あとでまた。
蒲留仙 では、まァ掛けたまえ。
李希梅 はい。【蒲留仙の左側へいって腰を掛けながら】先生、今、葉生が来ていたのでしょう。
蒲留仙 来ていたよ、【と、筆を置き、紙を巻いてそれも硯の側に置いて】逢ったかね。
李希梅 逢いました。今日は、あの男、どんな話をしていったのです。
蒲留仙 いや面白い話をしていったよ。
李希梅 今、世説にある話をしやしなかったのですか。
蒲留仙 どうして、君は、それを知ってるかね[#「知ってるかね」は底本では「知つてるかね」]、【笑い顔を
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