捨ててそのあたりへ散らばった。大塚はその数多な猿を見て驚いた。その驚きとともに猿に対する礼心を忘れてしまって、猟好きな好奇心が頭を擡げて来た。井戸の口から覗いていたらしい白毛の大猿が、すぐ横手の草の上に坐って大塚の方を見ていた。
(彼《あ》の猿じゃな、さきに覗いていたのは、立派な猿じゃ、好い猿じゃ、今日は別に何の猟もなかった、彼の猿なら好いな)
大塚はその大猿に注意を向けた。大塚は台尻に巻いた火縄に注意した。微に火が残っていた。彼は銃をおろすなり大猿を狙って火縄をさした。強い銃声とともに大猿は仆れてしまった。と、猿の間に非常な混乱が起って、蜘蛛の子を散らすように八方へ逃げてしまった。
残忍な大塚は大恩ある猿を獲物にして己《じぶん》の家へ帰って来た。帰って来てその猿を庭の鉤に吊し、手足を洗って明るい行灯の下で暖かな夕食を喫っていた。
「今日は大変なことがあった」
大塚は古井戸に落ちた話から、猿に扶《たす》けられた話を女房や婢《じょちゅう》などに聞かせていた。そして、何かの拍子に行灯の傍を見ると、白い大猿が前足をついて坐っていた。
「猿が」
大塚は鬼魅悪い声を立てて引っくりかえった。
大塚はその夜から病気になって、「猿が、猿が」と叫んでいたが、とうとう死んでしまった。
この大塚家では代々猿と云うことを口にしなかった。もし、それを忘れて口にするものがあると必ず不思議なことがあったと云われている。
底本:「日本の怪談(二)」河出文庫、河出書房新社
1986(昭和61)年12月4日初版発行
底本の親本:「日本怪談全集」桃源社
1970(昭和45)年初版発行
※「(何人《たれ》か覗いておるぞ、」は、底本では「「何人《たれ》か覗いておるぞ、」ですが、親本を参照して直しました。
入力:Hiroshi_O
校正:門田裕志、小林繁雄
2003年7月24日作成
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