いて、それで三度木を打ってくださるなら、何人《だれ》か来ることになっております」
「それで好いなら、とどけてあげよう」
 女は着物の間に入れていた手紙を出して毅に渡した。毅はそれを腰の嚢《ふくろ》の中へ入れながら言った。
「貴女は何のために羊を牧《ぼく》しているのです」
「これは羊ではありません、雨工《うこう》です」
「雨工とはどんな物ですか」
「雷の類です」
 毅は驚いて羊のようなその獣に眼をやった。首の振り方から歩き方が羊と違った荒あらしさを持っていた。毅は笑った。
「では、これを洞庭へとどけてあげよう、そのかわり、帰ってきた時は、貴女は逃げないでしょうね」
「決して逃げはいたしません」
「では、別れましょう、さようなら」
 毅は馬を東の方へ向けたが、ちょと行って振り返って見ると、もう女の影も獣の影も見えなかった。
 毅はそれから一月あまりかかって故郷に帰ったが、自分の家へ行李を解くなり旅の疲労《つかれ》も癒さずに洞庭へ行って、女に教えられたように洞庭湖の縁《へり》を南へ行った。葉がくれに黄いろな実の見える大きな橘の木がすぐ見つかった。毅はこれだなと思ったので、帯を解いて橘の幹を三度叩いた。そして、終ってその眼を水の方へやったところで、一人の武士が水の中から出てきた。武士は毅の前へ来て拝《おじぎ》をした。
「貴客《あなた》は何方からいらっしゃいました」
 毅はこんな者に真箇《ほんとう》のことは言われないと思ったのででたらめを言った。
「大王に拝謁するために来たのです」
「では、お供をいたしましょう」
 武士は前《さき》に立って歩いて行ったが、水際《みぎわ》に出ると毅を見返った。
「すこしの間、眼をつむってくださいますように、そうするとすぐ行けますから」
 毅は武士の言うとおり眼を閉じた。毅の体は自然と動きだした。
「ここでございます」
 毅は眼を開けた。そこには宮殿の楼閣が参差《しんし》と列っていて、その間には珍しい木や草が花をつけていた。すこし行くと大きな殿堂がきた。それは白壁の柱で、砌《みぎり》に青玉を敷き、牀《こしかけ》には珊瑚を用いてあった。
「ここでお待ちくださいますように」
 武士は毅をその殿堂の隅へ連れて行った。毅はここはどうした所だろうと思って聞いた。
「ここはどこだね」
「霊虚殿《れいきょでん》でございます」
「大王はどこにいらるる」
「今、元
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