ると、素人碁客ではあるが彼女よりは遥に強かった。新住職に興味を感じた彼女は、翌日寺へ出かけて往って対局した。結果はやはり前日と同じであった。そこで彼女は、どうかして住職を負かしたいと思って、熱心に研究しながら毎日寺へ通うようになった。時によると朝出かけて夜遅くまで帰らないことがあって、家庭に風波《ふうは》が起った。
某日《あるひ》彼女と良人《おっと》との間に、平生《いつも》のような口論があった結果《あげく》、彼女は良人に撲《なぐ》りつけられた腹立ちまぎれに、家を飛び出して其の夜は寺へ泊ってしまった。翌日|家《うち》へ帰ってみると家は空家になっていた。彼女の良人は彼女に愛想をつかして、娘を伴れて何処かへ往ってしまっていた。彼女は今更実家へも帰られないので、其のまま寺へ転げこんだ。
彼女の心はすさむ一方であった。彼女は不在|勝《がち》な住職の眼を忍んで、其の寺に同居していた若い青年画家と戯《たわむ》れた。それが住職に知れかかると、住職の不在中、寺の道具や金目な物を売払って、其の青年画家と駈け落ちした。其のことは直ぐに檀家に知れて大問題となり、住職は女に裏切られた苦しさと、厳しい檀家の糺問《きゅうもん》に耐えかねて縊死《いし》した。
青年と駈け落ちした彼女は、夜になると住職の怨霊《おんりょう》に悩まされた。それと見た画家は女の金を奪って姿を晦《くら》ましてしまった。
彼女は旅館で自殺を計ったが、果さなかった。そして、彼女は其の事を知って駈けつけた弟の家へ引き取られて、それから尼になったものであった。
「私は幾度《いくたび》、自殺を計ったか知れませんが、罪が深いと見えまして、どうしても死ねないのでございます」
名音は其の事を住職に話して玉音のために祈祷《きとう》してやったが、玉音の苦しみは去らなかった。そして、一ヶ月ばかりの後に発狂してしまった。名音はそれを私に話した後でこう云った。
「其の後、玉音さんは、弟の家へまた引き取られたそうですが、恐らく彼《あ》の病気は癒らないでしょう。こうしておりましても、玉音さんの彼《あ》の苦しそうな声と、無鬼魅《ぶきみ》な法華僧の姿が眼の前に浮んで来ますよ」[#地付き](玉谷高一氏談)
底本:「怪奇・伝奇時代小説選集3 新怪談集」春陽文庫、春陽堂書店
1999(平成11)年12月20日第1刷発行
底本の親本:「新怪談集
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