放生津物語
田中貢太郎
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)放生津《ほうじょうつ》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)平|蜘《ぐも》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「女+朱」、第3水準1−15−80]
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一
越中の放生津《ほうじょうつ》の町中に在る松や榎の飛び飛びに生えた草原は、町の小供の遊び場所であった。その草原の中央《なかほど》の枝の禿《ち》びた榎の古木のしたに、お諏訪様と呼ばれている蟇の蹲まったような小さな祠があったが、それは枌葺《そぎふき》の屋根も朽ちて、木連格子の木目も瓦かなんぞのように黒ずんでいた。
初夏の風のないむせむせする日の夕方のことであった。その草原から放生湖の方に流れている無名《ななし》水の蘆の茂った水溜で、沢蟹を追っかけていた五六人の小供の群は、何時の間にか祠の前へ来て戦《いくさ》ごっこをしていたが、それにも飽いたのか皆で草の上に腰をおろした。それはその中の一人が話をはじめたがためであった。その話は神通川の傍《ほとり》になったあんねん坊の麓に出ると云うぶらり火のことであった。ぶらり火は佐々内蔵介成政が、小百合と云う愛妾と小扈従竹沢某との間を疑って、青江の一刀で竹沢を斬り、広敷へ駈け入って小百合の長い黒髪を掴んで引出し、それを神通川へ持って往ってさげ斬りに斬って、胴体はそのまま水に落し、頭《かしら》は柳の枝に結びつけたので、小百合の怨みのぶらり火が出るようになったが、それ以来神通川を渡ってあんねん坊を越えて往く成政の軍は振わず、とうとう小百合のことから家が滅んだと云うその辺《あたり》に残っている伝説であった。
「ぶらり火の出る処には、髪を上から掴まれたような女の首がある、自家《うち》のお祖父さんが見たと云うよ」
「怕いなあ」
「怕いとも」
「今でも出るじゃろうか」
「出るとも、髪がこんなになった女の首が、ぶらりんと出て来るよ」
ぶらり火のことを話していた十四五に見える小供は、両手で髪の上を掻きあげるようにしながら、獅子鼻の鼻糞の附いている鼻を前へ突き出すようにした。
「松公、汝《おぬし》は放生の亀の話を知っておるか」
獅子鼻の右横になった松の浮根に竹馬に乗るようにしていた小供が、獅子鼻に向って云った。
「放生の湖《うみ》には、川の幅が狭って、海へ出られん亀の主がおるよ」
獅子鼻は何でも知っているぞと云うような得意な顔をした。
「そんな話じゃないよ」
松の浮根に乗っている小供が獅子鼻を押えつけるように云ったので、獅子鼻は面白くなかった。
「それなら、どんな話じゃ」
「ある人が、夏、放生の湖《うみ》へ舟を乗りだして、寝ておると、何時の間にか己《じぶん》が魚になって、湖の中で泳いでおる、どうして魚になったろうと思いよると、そこへ他の魚が来て、海の神様が来たから、お前も同伴《いっしょ》に往けと云うから、同伴に踉いて歩きながら己を見ると、己は黄色な大きな鮒になっておる、どうも不思議でたまらんから、理由《わけ》を聞きたいと思うたが、聞くこともできんから、そのまま踉いて往くと、大きな大きな龍宮のような御殿があって、王様のような者がおって、皆の魚がその両脇に並んでおるから、己も其処へ往って坐っておると、黒い素袍を着た大きな大きな魚が王様の前へ出て来た、傍の者に聞くと、あれは赤兄《あかえ》公じゃと云うてくれた。その赤兄公が王様に、私は王様の処へ往きたいが、体が大きくて川の口が出られませんと云うと、王様は、それは承知で、お前を此処へおいてあるが、この比《ごろ》聞くと、村の人達が、湖《うみ》の泥をあげて田を作ろうとすると、お前が亀に云いつけて、その人を喫い殺さすそうじゃ、不都合じゃ、その罰に毒蛇に云いつけて、鱗の中へ鉄虱をわかして苦しめてやると云うと、赤兄公は、それは違うております、村の人達が湖の泥を採ると、泥の中に住んでおる鼈《すっぽん》が、子や孫を殺されますから、困って村の人を威して、泥を採ることを止めさせようとすると、村の人は泳ぎが下手でございますから、溺れて死にますと云うと、王様は鼈を呼び出して、赤兄公が云うことが真実《ほんとう》かと聞いた、鼈はそのとおりでございますが、困ったことには、村の人が亀が人をとるからには、亀を退治しなくてはならんと云うております、もし私達が逃げますと、亀と蛇とはいっしょだからと云うて、城址の桑の木に住んでおる蛇を焚《や》き殺します、それを、もう、蛇が知って、毎晩泣いております、どうか蛇も殺されず、私達の子や孫も殺されないようにしてくだされ、と云うと、王様が、それでは村の人達に云いつけて、湖《うみ》の
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