見なれている翁の面の為作の顔があった。
「その女子には、俺が話したいことがある、邪魔をすると只ではおかんぞ」
「それは此方から云うことじゃ、この女子は俺の家の嫁じゃ、俺の家の嫁をどうしようと云うのじゃ、この無法者」
 為作の手にした枴はまた閃いた。林田はちょと身をかわすなり、その手元につけ入って枴を奪いとってふりかぶった。その林田の眼の前にその時、不意に恐ろしいものが閃いた。それは薙刀を二つ組みあわせたような紫色を帯びた大蟹の鋏であった。林田は驚いて枴を投げ捨てて後へ退った。大蟹の鋏は其処にもあった。
「わッ」
 林田は眼を押えて逃げて往った。為作とお勝は暴漢が逃げてくれたので安心して帰って来た。
「彼の無法者の逃げた容《さま》がおかしいじゃないか」
「眼を押えて逃げたのですが、どうかしたのでしょうか」
「枴の端《さき》でもあたったろうよ」
「そうでしょうか」
「そうとも、罰じゃよ」

       四

 翌朝になって為作は、女一人の夜歩きは物騒だから時刻を見はからって迎えに往くと云うことにしてお勝を出し、その後で源吉の守をしながら他家《よそ》から頼まれてある雨戸をこしらえていた。
 為作は庭前《にわさき》の日陰に莚を敷いて其処で仕事をしていた。源吉は為作の傍にいたりいなかったりした。
 夕方になって為作が仕事をおいて、夕飯の準備《したく》をしていると源吉がひょいと庭前へ来て立った。
「お祖父さん」
 為作は囲炉裏の傍にいた。
「おう、源吉か、何処へ往っておった、お祖父さんは探しに往こうと思いよったぞ」
「お諏訪様へ往ってたよ、お祖父さん、今日はお諏訪様が出て来たよ」
「なに、お諏訪様が」
「そうよ、おいらが、お諏訪様の前へ往って、お諏訪様、お諏訪様、いっしょに遊びましょうっていったら、出て来たのだよ」
 為作は何のたあいないことを云ってるだろうとは思ったが、源吉が如何にも真面目であるから、鍋の中を掻き混ぜていた手を止めた。
「出て来たって、何が出て来たのか」
「お諏訪様だよ」
「お諏訪様って、どんなお諏訪様じゃ」
「白い蛇よ」
「白い蛇が何処から出て来たよ」
「おいらが、お諏訪様、お諏訪様、いっしょに遊びましょうと云ってたら、神様の下の石の間から出て来たのだよ」
「それからどうした」
「おいらは、はじめはおっかなかったから、逃げちゃったが、追っかけて来ないの、横
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