るが、どうしたことかそれが見えない。私は不思議に思って気をつけて見た。煙突は向う隣の素人下宿屋の台所の屋根に倒れ落ちて、その屋根をめりこましていた。煉瓦塀は砕けて路次の行詰を埋めていた。私はいきなり向う隣の非常口の木戸の戸を開けた。
「有馬さん、有馬さん、大丈夫ですか」
 と、間をおいて病身な主人の声が台所の方でした。
「た、あ、な、か、さん、で、す、かア」
 主人は台所に這いつくばって、起きようともがいているところであった。
「けがはなかったのですか」
「けエがアは、ありイませんが……」
 主人はのっそりと起きて来た。
「えらいことでしたね、けががなかったなら好いのですね、でも、まだ危険ですから、外へ出ようじゃありませんか」
 私はそのまま走って外へ出た。かなり強い地震がまたやって来て地の上がゆらゆらとした。私は墓地の生垣に体をぴったりと押しつけるようにして、シナ人の下宿を気にしている家内の傍へ往った。その生垣の根方には黒い煉瓦を築いてあったが、それが皆崩れて垣の根があらわれていた。
「ここなら大丈夫だ」
「でも、こわいわ、こわいわ、どうしましょう」
 シナ人の下宿の並びの米屋と差配などの住んでいた一棟は潰れていた。私たちの頭の上には電燈の太い蛇のような線が通っていて、門口の右手よりにその柱があった。私は下宿の方よりもその方が怖かった。シナ人の下宿の軒先にも電信線があった。その下宿の簷《のき》はぐらぐらとしてその柱に当りそうに動いていた。
「さっきのお客さんですよ」
 家内の声がするのでふと見ると、家内の右側に和智君が黒い顔をして生垣に寄りかかっていた。
「お客さん、足をけがしていらっしゃいますよ」
 和智君は私が家内と子供を下へ伴れに往っている間に、二階の簷から飛びおりて右の足首をくじいていた。
「そいつはいかん、僕がもんであげよう」
 私は和智君を崩れた煉瓦の上へかけさして、くじいた足首のあたりを揉んだ。和智君は痛いと言って長くそれを揉まさなかった。
「ここは駄目ですよ、どこかへまいりましょう」
 家内が私に言いかけた時、また地が震うて来た。三四人の者は奈良県の寄宿舎の下の高い崖の方へと往きかけた。寄宿舎の庭なら安全であると私は思った。私は和智君を後で迎いに往くことにして、まず、子供と家内を伴れて往った。その僅かな路の間も電線に注意したり、右側の簷の瓦に注意し
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