(もしや、妖怪ではないか)
 新三郎は注意したが、別に怪しいそぶりもなかった。ただしょんぼりと立っている容《さま》が、如何にも何か思案に余ることがあって、非常に困っているようであるから傍へ往って声をかけた。
「この夜更けに、壮《わか》い女子《おなご》の方が、一人で何をなされておられる」
 見ると立派な服装《なり》をしていた。女は恐ろしそうに新三郎の顔を見たままで何も云わなかった。
「私は五月新三郎と申す[#「申す」は底本では「中す」と誤植]者で、決して怪しい者ではない」
「私は秦泉寺《じんせんじ》の者でございますが、去年国沢へ縁附きましたところが、夫には他に女子《おなご》が出来て捨てられましたから、淵川へなりと身を投げて死のうと思いましたが、秦泉寺には一人の母がございまして、私に万一《もしも》のことでもありますと、母がどんなに嘆くであろうと思いますと、死にもならず、兎に角秦泉寺へ参りまして、母に一目逢うたうえでと思いまして、夕方に国沢を抜け出しましたが、追手が恐ろしゅうございますから、廻り道をして往こうと思いまして、此処へまで来たものの、恐ろしくて、困っておるところでございます」
 こう云って女は涙を見せた。新三郎はそれがいじらしかった。
「それでは私が秦泉寺へ送って進ぜよう」
「それは有難うございますが、遠い処を、そんなことをしていただきましては済みません」
「何、今晩は別に用事もないから、送って進ぜよう」
「では、お詞《ことば》に甘えますが」
 女はこう云ってまた何か困ったような顔をしながら脚下に眼を落した。
「それに、馴れぬ夜路をいたしまして、足を傷めて困っております」
 新三郎は負うて往ってやろうと思った。
「そんなことなら、負うて進ぜよう」
 女は恥かしそうにして笑った。その笑い方が如何にも濃艶であった。新三郎は直ぐ其処へ踞んだ。
「さあ、遠慮なさらずに」
 香《におい》のあるような身体がふわりと背に寄りかかった。新三郎は起って軽々と歩いた。
 半丁ばかりも往くと、新三郎の背には大盤石が乗ったようになって動けなくなった。新三郎は驚いて後を見た。背の上には恐ろしい鬼の顔があった。長い二本の角に月の光がかかっていた。
「おのれ、妖怪」
 新三郎は突然怪しいものを投げ落そうとした。と、新三郎の首筋に大きな手がかかって、その体は宙に浮きあがった。豪胆な薪三郎は腰の
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