なしにして返事をしなかった。武はますます怒って邑宰《むらやくにん》に訴えた。邑宰からは林児を拘引すべしという命令が出たが、下役人がつかまえなかった。官の方でもそれからうえは問わなかった。武は怒りに燃えていた。ちょうどそこへ七郎が来た。武はいった。
「君がいったことがあたった。」
 そこで武は林児のことを話した。七郎はさっと顔色を変えて悲しそうにしたが、ついに一言もいわないで、すぐいってしまった。
 武は頭《かしら》だった下男にいいつけて林児を偵察《ていさつ》さしてあった。林児は夜他から帰って来て偵察している者の手に落ちた。偵察していた者は林児を武の前に突きだした。武は林児を杖《つえ》で叩《たた》いた。林児はめいらずに武の悪口をついた。武の叔父の恒《こう》は寛厚の長者であった。姪《おい》があまり怒って禍《わざわい》を招くのを恐れたので、つきだして懲《こら》してもらった方が好いだろうといって勧めた。武はその言葉に従って、林児を繋《しば》って邑宰の所へ送った。しかし御史の家から名刺をよこしてくると、邑宰は林児を釈《ゆる》してその下男に渡して帰した。林児はますます我がままになって、群集の中で、武と王とが私通しているとしいごとをいったが、武はそれをどうすることもできなかった。武は怒りに胸が塞《ふさ》がって悶死しそうになった。
 武は御史の門口へいって罵《ののし》り叫んだ。村の人が慰めて家へ帰した。翌日になって武の家の者が武にいった。
「林児は何ものかに殺されて、尸《しがい》が野の中にころがっております。」
 武は驚喜して心がややのびのびとなったが、俄《にわか》に御史の家から叔父と自分とを訟えたということを聞いた。武はとうとう叔父と裁判にいった。
 邑宰は二人のいいわけを聞き入れないで恒を杖で打とうとした。武はあらがっていった。
「人を殺したというのはけしからんが、紳士を侮辱したから、僕が彼奴《あいつ》をやっつけたのだ。叔父の知ったことじゃない。」
 邑宰はその言葉を耳に入れなかった。武は眼を怒らして飛びあがろうとした。役人達は武をとりひしいで杖で叔父と一緒に敲《たた》いた。役人達は皆御史の家の走狗《そうく》であった。恒はよぼよぼした老人であったから、打つ杖の数がまだ半分にもならないうちに死んでしまった。邑宰は恒の斃《たお》れたのを見るともうそれ以上は詮議《せんぎ》をしなかった。
 武は大声をあげて叫びかつ罵ったが、邑宰は何も聞かないふうで相手にならなかった。
 武はとうとう叔父の尸を舁《かつ》いで[#「舁《かつ》いで」は底本では「舁《かつ》いて」]帰って来たが、哀みと憤りで心が乱れてそれに対する謀《はかりごと》がまとまらなかった。武はそこで七郎から謀を得ようと思ったが、七郎はさらに見舞にも来なかった。武はこれまで七郎を待つに薄くはなかったが、なんでにわかに知らない人のようにするだろうと思った。しかし、林児を殺してくれた人のことを思うと、どうしても七郎より他にないので、七郎と謀《はか》らなければならないと思って、そこで人をその家へやった。七郎の家は戸が締ってひっそりとなっていた。隣の人に訊いても解らなかった。
 ある日、御史某の弟は村役所へ来て邑宰と相談していた。それは朝で、薪と水とを樵人《そま》が持って来る時刻であった。不意に一人の樵人が水を担《かつ》いで来たが、その担いだ物を置くなり刀を抽《ぬ》いて某に飛びかかった。某はあわてて手で刀をつかもうとした。刀はそれで腕を切り落した。樵人の次の刀は始めて某の首を斬った。邑宰は驚いて逃げていった。樵人は臂《ひじ》を張り肩を怒らして四辺《あたり》を見まわした。諸役人は急に門を締《し》めて杖を持ってさわぎだした。樵人はそこで自分で頸《くび》を突いて死んだ。皆がいり乱れて集まって来て見た。中に識っている者があって樵夫は田七郎だといった。邑宰は胸の鼓動が収まったので、始めて出て七郎を験《しら》べた。七郎は血の中に倒れていたが手にはまだ刀を握っていた。邑宰は足を止めて精しく見ていた。と、七郎の尸《しがい》が不意に起きあがって、邑宰の首を斬ったが、それが終るとまた※[#「足へん+倍のつくり」、第3水準1−92−37]《たお》れた。
 捕卒が七郎の母親をつかまえにいった。いってみると逃げうせて数日経っていた。武は七郎の死んだことを聞いて、かけつけて泣き悲しんだ。皆武が七郎にさしたことだといった。武はありたけの財産を以て当路の大官に賄賂を送って、はじめて免がれることができた。七郎の尸は三十日も野に棄てて、鳥や犬がそれを看視していた。武はそれを取って厚く葬った。
 七郎の子は登《とう》に漂泊《ひょうはく》していって、姓を※[#「にんべん+冬」、第3水準1−14−17]《とう》と変えていたが、兵卒から身を起し、軍功によって同知将軍になって遼陽《りょうよう》に帰って来た。武はもう八十余であった。そこで武はその父の墓を教えてやった。



底本:「聊斎志異」明徳出版社
   1997(平成9)年4月30日初版発行
底本の親本:「支那文学大観 第十二巻(聊斎志異)」支那文学大観刊行会
   1926(大正15)年3月発行
入力:門田裕志
校正:松永正敏
2007年8月12日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全2ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
田中 貢太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング