その秀英の鼻孔《はな》のあたりに微かな気息《いき》があるように感じられた。世高は耳のふちに口をつけてその名を呼んだ。
 女はやっと眼を見ひらいた。秀英は蘇生したのであった。二人は手を取りあって泣いた。

 世高と秀英の二人は機の熟するまで迹《あと》をくらますことにした。そこで棺には葢をして、もとのとおりに土を被せ、棺の中に入れてあった首飾などを持って、その夜、月の下を運河の岸に出て、そこから舟を雇うて世高の故郷の蘇州へ往った。
 世高の両親はとうに没くなって、他に兄弟姉妹《きょうだい》もないので、世高は何事も思いのままであった。彼は蘇州の我家へ帰るなり秀英と華燭の典をあげた。
 そうして二人がいるうちに紅巾《こうきん》の賊乱が起った。それは至正の末年で、天子は元順帝《げんじゅんてい》であったが、杭州の劉万戸が人才であるということを聞いたので、それを用いることにして呼んだ。
 劉万戸はそれを好まなかったが、辞することもできないので、夫人を伴れて京師へ向ったところで、張士誠という乱賊が蘇州に拠って劫掠《ごうりゃく》をはじめていた。それがために途が塞がって進むことができなかった。しかたなしに呉門という処に宿をとって滞在していた。
 その時世高と秀英の二人も、やはり張士誠の軍士の城内に侵入するのを避けて、群集に交って呉門まで逃げて往ったが、一軒の宿を見つけて入ろうとしたところで、劉万戸に似た老人がその入口に立っていた。秀英がそれを見て世高に囁いた。
「あれは、お父様ですよ、どうしてここにいらっしゃるのでしょう」
 そこで世高は劉万戸の前へ往った。
「先生は杭州の方ではございませんか」
 それは確かに劉万戸であった。世高はひっかえしてそれを秀英に囁いた。そして、二人は別室へ入ったが、秀英は母に遇いたいので、世高の止めるのも聞かずに、その夜両親の室の前へ往って泣いていた。
 劉万戸夫婦は女の泣声を聞きつけて、秀英の声に似ていると言っていたが、とうとう起きてきて扉を開けた。そして、夫人は秀英の姿を見てもしや鬼《ゆうれい》ではないかと思ったが、懐かしいので抱きかかえた。
 劉万戸は人をやって、天笠山麓《てんりゅうざんろく》の墓をあばかしたところで、中には何もなかったので、はじめて世高と秀英の詞《ことば》を信用した。
 そして、皆でそこに滞在しているうちに、張士誠の軍が敗れて、路がや
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