提燈
田中貢太郎
八月の中頃で国へ帰る連中はとうに帰つてしまひ、懐の暖かな連中は海岸へ行つたり山へ行つたり、東京にゐるのは金のない奴か物臭か、そのあたりのバーの女給にお思召を付けてゐる奴か、それでなければ僕等のやうに酒ばかり飲み歩いてゐる奴ばかりなんでしたよ。
ある晩例によつて僕と、も一人の友人とで、本郷三丁目のバーで飲んでゐると二人の仲間がやつて来たんです。其所で四人の者が一緒になつて飲んでゐる内に、
「これから、何所かへ旅行しようぢやないか、」
と云ひだして、気まぐれな連中の揃ひだから、好からうと云ふことになつてたうとう其所から電車に乗つて東京駅へ行つたんです。
それで一つお話しておかないといけないことは、その時一緒に行つた山本と云ふ男が酒を飲んでゐる内に変なことを云ひだしたんです。山本は巣鴨にその時ゐたんですが、山本の下宿から電車へ行く所に、一方が寺の垣根になつて一方が長い長い塀になつた淋しい所があつて、其所に電燈が一つ寺の垣根に添うて点いてゐるさうですよ。なんでもその電燈は石なんかで壊れないやうに円い笠を針金の網で包んであるさうです。その電燈の傍に樫のやうな木の枝がおつ覆さるやうになつてて、風の吹く晩などには、その樫の葉の具合で電燈の光が変に見えるから、夜遅く其所を通る時には気になつて何時も見ると云ふんです。ところで二三日前の晩にやはり僕達と遅くまでバーを歩いてて赤電車に乗つて帰つて其所を通りながら、その電燈が気になるのでそれを見い見い歩いて行つてその下へ行つたところで、電燈の笠が針金の網の中でちやうど地球儀がまはるやうにくるくるとまはつたさうです。山本は吃驚して立ち止つて見るともう別に動いてゐるやうでもない、眼のせいだらうそれとも何時ものやうに風の具合で木の葉が動くためにあんなに見えたんだらうと思つて、木の葉に注意して見たが木の葉はぢつと静まつててすこしも動いてゐない。では怖い怖いと思つてゐるからそれでまはつたやうに見えたらうと思つて、電燈から眼を引かうとするとまたくるくると地球儀をまはすやうにまはりだしたんで、山本は吃驚して下宿へ走つて帰つてもうそんな所を夜二度と通るのは厭だと云て、その日から森川町にゐる友人の下宿へ移つたと云ふ話がもとになつていろいろと神秘的な話に入つてそれから夜の旅行と云ふことになつたんです。
まだ九時頃でした。神戸の方へ行く汽車があつたからそれに乗つて向ふに着いたのが十一時すこしまはつた時でした。其所からあの海岸へは三里くらゐあるんですね。宿屋は石垣と云ふ旅館で其所と心易い者があつたから、何時行つても好い室はないにしても一晩くらゐ都合をつけてくれるだらうと云ふやうなことで、停車場前でまたビールを一二本飲んでそれから歩いたんです。真暗に曇つた晩で海岸の方からすこし風が吹いてゐたが生温い気持の悪い風でした。それにビールを沢山飲んでゐるからすこし歩くと汗がだくだく出て困つたんです。あんな砂埃の立つ道でせう。それでやつとあの川の土手へ出た時には皆が疲れて、
「もう、此所で寝やうぢやないか、」
と云つて土手の上に寝転ぶ者もあつたくらゐです。石の冷たい河原で寝ることは好いとしてちよつと休んでゐてさへ、沢山の蚊がぶんぶんやつて来る程だからとても寝ることは駄目です。で、
「駄目、駄目、こんな所に一時間もゐやうものなら、それこそ、蚊に喰い殺されるんだ、出発、出発、」
と云ふ調子で出発したんです。小さな仮橋がありますね。あれを渡つて行くと川の向ふは松原で右の方は稲を植た田圃でせう。波の音に交つて蛙や蟲の声が聞えて急にしんとして来て汗の出るのも止つたんです。それに今まで盛んに喋り散らしてゐた者が喋ることを止めたものですから急にひつそりとなつて淋しくなつたんですよ。
「これから、順々に、皆がお得意のものをやらうぢやないか、」
と云ふ者がありましたが僕を初め何人も歌はうとする者はないのです。
さうして皆が黙つて思ひ思ひの心になつて歩いたもんですから、猶更淋しくなつて四人の駒下駄の砂に触れる音がサク、サクと聞えるばかしで、それがまた妙に四人の他に姿の見えない物があつて従いて来てゐるやうに感じたんです。もつともこの感じは後から僕のこしらへた感じかも判りませんがどうもそんな気がしたやうに思ふんです。
その内に半里くらゐも行つたんでせうか、松原の松が飛び飛びになつて路の左側に砂山のある所がありますね月見草や昼顔が咲いてゐるさうですね、彼所へ行つたところで向ふの方に薄赤い火の光が見えるぢやありませんか。
「火が見えたね、」
「人家があるだらうか、」
「提灯ぢやないか、」
皆がこんなことを云つたんですが近くなると提灯の火のやうです、そして此方の方へ動いて来るんです。さう云ふ淋しい場合に提灯の火を見ると云ふこ
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