れに夜になって人の家の庭前《にわさき》などヘ来て角力なんか執るものではない。それに芒や萩の中にあんな少年が入っておる筈のものでない。どうしてもこの少年は怪しい少年であると思った。
「どうしても人間の子供でない」
 二人の少年は組んずほぐれつやっていたが、力が合っているのか何方《どっち》も倒れない。
「何者だ」
 光長は思わず声を出した。と、二人の少年はびっくりしたように両方に離れるとともに、痩せた方は芒の繁みの方へ往き、肥ったのは萩の繁みの方へ往ったが、そのまま二人とも見えなくなった。
「何人《たれ》か来よ、何人か来よ」
 光長が声を出して呼ぶと、しもての縁側に跫音がして、釣り刀をした背の高い侍の一人がのそのそと来てひざまずいた。
「怪しい小供が二人、萩と芒の中へ入った、引っ捕えて来い」
 侍はそのまま立って庭へおりて往った。光長は起きあがっていた。
 侍は萩と芒の繁りの中へもう己《じぶん》の体を置いて捜していたが、暫くして帰って来た。
「何者も見当りませんが、如何いたしましょう」
 光長はやはり今の少年は人間ではないと思った。
「見えねばそれで好い、捨てておけ」

 光長はその翌晩も縁側へ出て一人で酒を飲んでいた。酒を飲みながら時々前夜の怪しい少年のことを考えていた。そして、また酒も厭になったので横に寝そべって庭の方を見ていた。その晩も涼しい風が吹いて虫の声が静に聞えていた。
 光長は睡くなったのでうつらうつらしていたが、何か物の気配がしたので眼を開けてみた。庭では痩せた少年と肥った少年が、昨夜と同じように角力を執っていた。
 光長はそれを見るなり、そっと体を起して両手を立て、音のしないように座敷の中へ入って往った。
 右の方の壁の傍には、張った弓をかけ、下へ立てた胡※[#「※」は「竹」かんむりの下に「録」の旧字、第3水準1−89−79、74−2]《やなぐい》に十本ばかりの矢が入れてあった。光長はその弓をおろすなり、二本の矢を執って縁側の簾の陰へ往って、一本の矢を口にくわえ、一本の矢を弓に仕かけながら庭の方を覗いた。
 庭では二人の少年が未だ組んだり離れたりして一生懸命になっていた。光長はその二人がいっしょになったところを見るといきなり矢を放った。矢は二人を合せて縫うたように見えたが、そのまま二人の姿は見えなくなった。光長は二本目の矢を弓に仕かけながら声を立てた。
「灯《ひ》を持て、灯を持て、曲者をしとめた」
 遠くの方で返事があったが、暫くすると庭の方に灯が見えて二人の侍が来た。
「小供の形をした曲者をしとめた、そのあたりを捜して見よ」
 光長が矢を持った手を庭の方にさした。侍は庭の中を彼方此方捜して歩いた。矢が落ちているだけで何も見えなかった。

 翌朝になって光長は己《じぶん》で庭へ出て見た。昨夜少年の角力をとっていたあたりに、一匹の黒蟻と牛蝨《だに》が並んで死んでいた。



底本:「日本の怪談」河出文庫、河出書房新社
   1985(昭和60)年12月4日初版発行
底本の親本:「日本怪談全集」桃源社
   1970(昭和45)年初版発行
入力:大野晋
校正:松永正敏
2001年2月23日公開
2001年2月24日修正
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