、荊棘の藪の中で、血みどろになって荊棘と角力をとっていた。
 しばてんは、初夏の比《ころ》、麦の茎が黄ろに染まる比に好く出て、野に遊んでいる村の少年をたぶらかした。麦の黄ろになりかけたのを、其処では麦のかさうれと云った。その時分には、好く海岸に大きな波が立って海が脹らんだように見え、潮気を含んでべとべとするような風が吹いて、麦の穂の上を白い蝶が物憂そうに飛んだ。その麦のかさうれ時には、何時も暗くなるまで遊んでいる少年も、陽が傾く比から家に帰って往った。
 しばてんと関連して、河童の話も聞かされた。それは池や川にいて、時折村の少年を死に導いた。
「あの子はえんこうにこうもんを抜かれた」
 私の村では、河童をえんこうと云った。土用の丑の日には、村の農家では胡瓜を海や川に流して河童を祭った。
 狸は人をたぶらかすばかりでなく、また人に憑いて禍をした。私の村で人に憑くものでは、狸のほかに犬神と云うものがあった。犬神は関東のおさき狐と同じようなもので、それは狸や狐のように一時的のものでなかった。村では犬神持ちと云われている家があって、その家にいる犬神は其処の家人の心のままになって、対手の者に憑いた。其処の女房が、隣家の蚕の生育の好いのを見て、それを羨ましく思いでもすると、犬神はすぐその蚕に憑いて一夜の中にその生育を悪くするか、其処の何人《たれ》かに憑いて、その者を病人にした。また隣家に出している漬物の色の好いのを見て、それが喫《く》いたいと思いでもすると、その犬神はすぐ隣家へ往って、その漬物の味を違えたり、家の人に憑いたりした。
 その犬神を除くには、修験者のようなことをやっている者が来て、よりと云う者を立てて祈祷にかかる。よりは病人のかわりになる者で、主に女で、多くは経験のある、何時もよりとして雇われている者であった。そのよりは病人の傍で、祈祷者の用意して来た榊の枝に紙片をつけた幣を雙手に捧げるように持って、寂寞として坐っている。と、祈祷者が声高々と祈祷をはじめる。祈祷が進んで来るに従って、よりの幣を持った手が顫い出す。それは犬神がよりに移って来た印だ。よりは額から大粒の汗をぼろぼろ落しながら幣を動かした。榊の葉がばらばらと鳴った。紙片が切れて飛び散った。祈祷者はそれを見ると、祈祷を止めて睨むようによりの女を見おろした。
「お前は何んじゃ、云え、何処から来た」
「近処から来
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