誌を編輯してゐる文学者の話した、某劇場の前にゐた二人の露西亜女の所へ往つて、葡萄酒を沢山飲まされて帰つて来たといふ話を思ひだした。と、発育しきつた外国婦人の肉体が白くほんのりと彼の眼の前に浮ぶやうに感じた。
(銀座の某店の前で、ステツキを売つてゐる婆さんに、ステツキを買ふふりをして訊くと、女を世話してくれる、)
 何時も話題を多く持つてゐる若い新聞記者の話したことが浮んで来た。そこで彼は、そのステツキを売つてゐるといふ老婆に興味を感じて、某処に頭をやつたとこで、時間のことが気になつて来た。彼はカツプに手をやつたなりに顔をあげた。
 時計は十二時に十五分しかなかつた。彼は自分の物足りなさを充たしてくれる物は、上野の広小路あたりにあるやうな気がした。彼はすぐ広小路まで帰らうと思つた。さう思ふとゝもに、彼の頭の一方に雨の日の上野駅の印象が浮んだ。その印象の中には赤い柿の実が交つてゐた。彼はその印象をちらちらさしながら勘定のことを考へた。
「おい、勘定、」
 カツプにすこし残つてゐたソーダ水を割つたウイスキーを口にしながら上野駅の印象の続きを浮べてみた。雨に暮れかけた上野駅では東北の温水町から一緒に帰つて来た六七人の者がばらばらになつて帰りかけた時、随筆家として世間に知られてゐる親い友人から呼び止められた。随筆家の友人は、土産にと持つて来た柿の籠を一緒に持つて往つて置いてくれといつた。
(おい、けしからんことをいふなよ、)
 といつて笑つたことを思ひだした。随筆家の友人と話題を多く持つてゐる若い新聞記者とは、糠雨のちらちら降る中を外の方へと歩いていつた姿も浮んで来た。その二人は前晩泊つた温泉町から電報を打つて停車場もよりの家へ某事を頼んであるので、その家へ往つて夜を明かし、自分の家へは翌朝の汽車で帰つたやうな顔をして帰るといふことになつてゐた。彼は二人を見送つてから車を雇ひ、随筆家の友人の柿も一緒に積んで大塚の家へ帰つたことを思ひ出した。
 其処へ十八九に見える姿の好い女給が勘定書を持つて来た。彼はインバの衣兜から蟇口を出してその金を払ふとゝもにすぐ腰をあげた。
 哲郎は電車に揺られてうつとりとなりながら女のことを考へてゐた。その女の中には彼の洋画家の細君であるといふ女の、想像になつた長い骨を青白くゝるんだ肉体も浮んでゐた。
 一二年前に横浜の怪しい家で知つた獨逸人の混血児
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