案《つくえ》の上に硯や筆が備えてあった。陳はとうとうその巾に詩を題した。
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雅戯《がき》何人《なんびと》か半仙に擬する
分明なり瓊女《けいじょ》金蓮を散ず
広寒隊裏《こうかんたいり》応《まさ》に相《あい》※[#「女+戸の旧字」、第3水準1−15−76]《ねた》むべし
信ずるなかれ凌波《りょうは》便《すなわ》ち天に上るを
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詩ができると陳はそれを口にしながら出て、はじめの径《みち》から引返して往った。門の扉はもうぴったりと締っていた。陳はこまってしまった。そこで建物から建物を探して出口を見つけようとしたが見つからなかった。一人の女が不意に入ってきたが、びっくりして訊いた。
「どうして此所へいらしたのです」
陳は礼をして言った。
「路を間違えてまいりました、どうか助けてください」
女は訊いた。
「紅い巾を拾わないでしょうか」
陳は、
「拾いました、それに、それをよごしました」
と言って、巾を出した。女はそれを受け取ってひどく驚いて言った。
「それは大変です、これは公主のお持ちになるものです、これをこんなにいたずらしては大変です」
陳は色を失った。
「どうしたら赦《ゆる》していただけましょう」
女は言った。
「宮殿の中へ忍びこんだ罪ばかりでものがれることができないですが、あなたは儒冠《じゅかん》の書生さんで、おとなしい方だから、そればかりなら、どうにかしてお助けすることができたのですが、わざわざこんないたずらをしては、どうすることもできないです」
女は巾を持ってあたふたと往ってしまった。陳は心がふるえて肌に粟ができた。彼は自分の体に翅《つばさ》のないことを恨んだ。彼は殺されるのを待つより他にしかたがなかった。
やや暫くして初めの女がまた来て、そっと言った。
「お喜びなさい、あなたは命が助かるかも解らないです、公主は巾を三遍も四遍もくりかえして御覧になって、お笑い遊ばされて、べつにお怒りになった御容子《ごようす》も見えないですから、ついすると赦していただくことができますよ、すこし辛抱しているがいいのです、逃げ出したりなんかしてはいけないです、それで見つかろうものなら今度は赦してもらうことができないですから」
日がもう入りかけていた。陳は女の往った後でまだ凶とも吉とも定まらない自分の運命を考えて苦しんだが、
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