安孝廉だ。任というのは何者だ、わしの財産を買おうとするのは。」
 といってから、大成を顧みて、
「冥間《あのよ》で、お前達夫婦の孝を感心せられて、それで、わしを帰して、逢わせてくだされたのだ。」
 といった。大成は涙を流していった。
「お父様に霊《みたま》がありますなら、どうか弟を救ってやってください。」
「あんな不孝な悴《せがれ》や、わがままの嫁は、惜しくはない。それよりかお前は早く家へ帰って、早く金をこしらえて、わしの大事な財産を買いもどしてくれ。」
 大成はいった。
「母子がやっと生計をたてております。どうして、そんなたくさんの金ができましょう。」
「紫薇樹《さるすべり》の下に金をしまっておいた。それを掘ってつかうがいい。」
 大成はも一度精しいことを訊こうとしたが、老人はもう何もいわなかった。しばらくして大成は夢の覚めたようになって、何をしていたのか茫としていて自分で自分のやっていたことが解らなかった。
 大成は帰って来てそれを母に話したが、あまり不思議であるから母もやはり深くは信じなかった。臧はこのことを聞くともう数人の者をつれていって窖《あなぐら》を発《あば》きはじめた。そこに四、五尺の深さになった坑《あな》があった。しかしそこには石ころばかりで金らしいものはなかった。臧は失望して帰っていった。大成は臧が紫薇樹の下を掘っているということを聞くと、母と珊瑚にいいきかせて視にいかせなかった。そして、後で何もなかったということを知ったので、母がそっといって窺《のぞ》いて見た。やはり石ころが土の中に雑っているばかりであった。そこで母が返った。珊瑚が継《つ》いでいってみると、土の中は一めんに銭さしにさした銀貨ばかりであった。珊瑚は自分で自分の目が信じられないので、大成を呼んで一緒にいってしらべると、やはり銀貨であった。しかし大成は父親の遺したものであるから自分一人で取るに忍びないので、二成を呼んでそれを同じように分け、めいめい嚢に入れて帰った。
 やがて家へ帰った二成は、臧と二人でそれをしらべようと思って、嚢の口を開けてみた。嚢の中には瓦と小石が一ぱい入っていたので大いに駭いた。臧は二成が兄のために愚《ばか》にせられたのだろうと思って、二成を兄の所へやって容子を見さした。兄はその時嚢から出した金を几の上にならべて、母とよろこびあっていた。そこで二成は兄に事実を話した。安もそれには駭いたが、心ではひどく二成を憐《あわれ》に思って、その金をすっかりくれてやった。二成は喜んで、任の家へいって金を返してしまった。二成はひどく兄を徳とした。臧はいった。
「これで、ますます兄さんの詐《うそ》が知れるのですよ。もし、自分で心に愧《は》じることがなくて、だれが二つに分けたものをまた人にやるものですか。」
 二成はそれを聞かされると半信半疑になった。翌日になって任の家から下男をよこして、払った金はすっかり偽金《にせがね》であるから、つかまえて官にわたすといって来た。二成と臧は顔色を変えて驚いた。臧がいった。
「どうです。私ははじめから兄さんは利巧《りこう》で、ほんとに金なんかくれることはないといったじゃありませんか。どうです。これは兄さんがお前さんを殺そうとしていることじゃないの。」
 二成は懼れて任の家へいって哀みを乞うた。任は怒って釈《ゆる》さなかった。二成はそこでまた地券を任にやって、かってに售《う》ってもかまわないということにして、やっともとの金をもらって帰って来た。そして断ってある二つの錠《いたがね》をよく見ると、真物の金は僅かに菲《にら》の葉ぐらいかかっていて、中はすっかり銅であった。臧はそこで二成と相談して、断ったものだけ残しておいて、あとは皆兄の許へ返して容子を見さした。そして、二成に教えてこういわした。
「たびたびお金をいただいてすみません。で、二枚だけ残しておいて、お心ざしをいただきます。しかし私は残っている財産が、まだ兄さんと同じくらいあります。たくさんの田地はいりませんから、もうすててしまいました。買いもどすとも、そのままにするとも、それは兄さんしだいです。」
 大成は二成の心が解らなかったから、
「それは一たんお前にやったものだから、それはお前のものだよ、かえしてはいけない。」
 といって取らなかったが、二成がひどく決心したようにいうので、そこで受け取って秤《はかり》にかけてみると、五両あまりすくなくなっているので、珊瑚にいいつけて鏡台を質に入れて足りないだけの金をこしらえ、それを足して任の家へいって田地を取り戻そうとした。任はその金が二成が持って来た金に似ているので、剪刀《はさみ》で断ってしらべてみた。模様も色も完全に備ってすこしの謬《あやま》りもないものであった。そこで任は金を受け取って地券を大成に、かえした。二成は金を還した後で、きっと間違いがあるだろうと思ってみたが、もう旧《もと》の財産が買いもどされたと聞いたので、ひどく不思議に思ったのであった。臧は金を掘りだした時、兄が先ず貢物の金を隠しておいたものだろうと思って、忿《いか》って兄の所へいって兄を責め罵った。大成はそこで二成が金を返して来た故《わけ》を知ったのであった。珊瑚は臧を迎えて笑顔をしていった。
「財産がもどったじゃありませんか。なぜそんなに怒ります。」
 そこで大成に地券を出さして臧に渡した。と、二成はある夜父の夢を見た。父は二成を責めていった。
「汝《きさま》は不孝不弟であるから、死期がもうせまっているのだ。僅かな田地も汝の有《もの》にならない。持っていてどうするつもりなのだ。」
 二成は醒めてから臧に話して、田地を兄に返そうとした。臧は、
「ほんとにあなたは愚《ばか》ですよ。」
 といって承知しなかった。その時二成に二人の男の子があって、長男が七歳で次男が三歳になっていたが、間もなく長男が痘《ほうそう》で死んだ。臧は懼れて二成に地券を返えさした。大成は二成がいくらいっても受け取らなかった。間もなく次男がまた死んだ。臧はますます懼れて、自分で地券を持っていって嫂の所へ置いて来た。
 その時は春ももう尽きようとしているのに、二成の持っていた田地は草の生えるにまかして耕してなかった。安はしかたなしに耕して種を蒔いた。臧はその時から行いを改めて、朝夕母の機嫌を伺うのが孝子のようになり、嫂を敬うこともまた至れりであった。
 半年たらずに母が没くなった。臧は慟哭《どうこく》して、飲食ができないほどであったが、人に向っていった、
「お母さんの早く没くなって、私がつかえられなくなったのは、天が私に罪を贖《あがな》わないためです。」
 臧は十人も子供を生んだが皆育たなかったので、とうとう兄の子を養子にした。大成夫婦は天命をまっとうして世を終ったが、三人の子供があって、二人は進士に挙げられた。世人はそれを孝友の報《むくい》だといった。



底本:「聊斎志異」明徳出版社
   1997(平成9)年4月30日初版発行
底本の親本:「支那文学大観 第十二巻(聊斎志異)」支那文学大観刊行会
   1926(大正15)年3月発行
入力:門田裕志
校正:松永正敏
2007年8月12日作成
青空文庫作成ファイル:
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