ものがあった。それは土色をした蛙であった。蛙はその眼をきろきろとさしながら這いだして係蹄の傍へ往き、ちょっと立ち停って何か考えるように首を傾げていたが、やがてぱくりと口を開けたかと思うと、彼は山蚯蚓をくわえて眼を白黒にさしながら呑んでしまった。蛙はやっと一仕事終ったと云うような態をして踞んだ。
 何処にいたのか黒の地に赤い斑点のある小蛇が蛙の後の方へ這いだして来た。半兵衛は眼をひかずにそれを見ていた。蛇は蛙の傍へ往くと鎌首をあげて、赤い針のような舌をちらちらと一二度出した後に蛙の隻足《かたあし》をくわえた。蛙は驚いて逃げようとしたがどうしても逃げることができないで、その体は次第に蛇の口の中へ消えて往った。
(けたいなこともあるものじゃ)
 半兵衛は鬼魅がわるかった。その半兵衛の眼の前を灰毛の大きな体のものが掠めた。谷の下の方の林の中から一疋の大きな野猪が不意に出て来て、半兵衛の鼻端《はなさき》に触るように係蹄の傍へ往った。半兵衛は鉄砲をかまえた。野猪は蛙を呑んでむこうのほうへ這うて往こうとしている蛇を一口にぺろりと呑んでしまった。同時に半兵衛は火縄をさした。彼は小牛のような野猪が、轟然と響く鉄砲の音とともに、地響打って倒れるだろうと思ったが、鉄砲の音は小さく響いただけで、野猪は悠然とむこうの方へ往ってしまった。半兵衛は失敗《しま》ったと思って二発目の弾を急いで籠めたが、籠め終った時にはもう野猪の影も見えなかった。
(今日はけたいな日じゃな)
 半兵衛は鉄砲を持ったなり考えだしたが、なんと思っても不思議でたまらない。
(今日は、ろくなことはあるまい、帰ろう、帰ろう)
 半兵衛は遂に帰ることに定めた。彼は舌打ちしながら初めにあがって来た路をおりて、谷の下の方へ帰りかけた。栂の木が生えて微暗い処があった。半兵衛は其処へ往くと手に持っていた鉄砲を肩に掛けた。女蘿《さるおがせ》が女の髪のようにさがった大きな栂の木の陰から、顋鬚《あごひげ》の真白な老僧がちょこちょこと出て来て半兵衛の前に立ち塞がって両手を拡げた。
「この妖怪《ばけもの》奴」
 半兵衛は腰にさしていた山刀を抜いて、老僧の真向から切りおろした。と、二つになって倒れる筈の老僧が二人になって並んで手を拡げた。剛胆な半兵衛もこれには少し驚かされた。
「まだそんなことをしやがるか」
 半兵衛はまた右側の妖僧の真向へ切りつけ
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