皿屋敷
田中貢太郎

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)番町《ばんちょう》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)ふとどき者|奴《め》
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 番町《ばんちょう》の青山主膳《あおやましゅぜん》の家の台所では、婢《げじょ》のお菊《きく》が正月二日の昼の祝いの済んだ後の膳具《ぜんぐ》を始末していた。この壮《わか》い美しい婢は、粗相して冷酷な主人夫婦の折檻《せっかん》に逢《あ》わないようにとおずおず働いているのであった。
 その時お菊のしまつしているのは主人が秘蔵の南京古渡《なんきんこわたり》の皿であった。その皿は十枚あった。お菊はあらったその皿を一枚一枚大事に拭うて傍《そば》の箱へ入れていた。と、一疋《いっぴき》の大きな猫がどこから来たのかつうつうと入って来て、前の膳の上に乗っけてあった焼肴《やきざかな》の残り肴を咥《くわ》えた。吝嗇《りんしょく》なその家ではそうした残り肴をとられても口ぎたなく罵《ののし》られるので、お菊は驚いて猫を追いのけようとした。その機《はずみ》に手にしていた皿が落ちて破《わ》れてしまった。お菊ははっと思ったがもうとりかえしがつかなかった。お菊は顔色を真青にして顫《ふる》えていた。
「お菊さん、何か粗相したの」そこには主膳の妾《めかけ》の一人がいた。妾はそう云ってお菊の傍へ来て、「まあ大変なことをしなされたね」と云ったが、お菊が顫えているのを見ると気の毒になったので、「でも、いくら御秘蔵のものでも、たかが一枚の皿だもの、それほどのこともあるまいよ。あまり心配しなくてもいいよ」
 と云っているところへ奥方が出て来たが、お菊の前の破れた皿を見るなり、お菊の髪をむずと掴《つか》んでこづきまわした。
「この大胆者、よくも殿様御秘蔵のお皿を破ってくれた、さあ云え、なぜ破った、なぜお皿を破った」
 奥方は罵り罵りお菊をさいなんだ結句《あげく》主膳の室《へや》へ引摺《ひきず》って往った。濃い沢《つや》つやしたお菊の髪はこわれてばらばらになっていた。お菊は肩を波打たせて苦しんでいた。
「殿様、大変なことをいたしました、この大胆者が御秘蔵のお皿を破りました」
「なにッ」主膳の隻手はもう刀架の刀にかかった。「ふとどき者|奴《め》、斬《き》って捨てる、外へ伴《つ》れ出せ」
 奥方は松のうちに血の穢《けがれ》を見ることは、いけ
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