ということを聞いていたので、私はさほどに驚かなかった。
 国技館の外形は整然として両国の空を圧して、火災に逢ったとは思われないほどであった。私は橋を渡って電車の線路を往こうとしたが、橋の袂から河岸の方へ往く人もあるので、その方から自転車を押して来た店員のような若い男に、被服廠跡への路を聞いてみた。若い男はどっちから往っても好いと言った。私は河岸の方へ曲って往った。河岸には仮小屋を並べてたくさんの者が避難していた。
 右の方には両国の汽車の線路が、焼け跡の灰の中に浮いて連なっていた。それは鉄骨かなんぞのように焦げて黒くなっていた。河縁に電気の機具でも製造していると思われるような一廓をつくった建物が、不思議に焼け残っていた。それと向きあって路の右側に石の門と土塀の一部が残り、街路に面して二三本の半焼けになった鈴懸の樹のある所があって、その門の敷石の上に、右の手と頭に繃帯をしたシャツに腹掛けの運漕屋の親方らしい男が腰をおろしていた。私も暑くて苦しいので、そこですこし休むつもりで、その門口の石橋の縁《へり》になった石の上に腰をおろした。私はビンの水を飲んだ後で、煙草を点《つ》けて喫《の》みながら被服廠のことを聞いた。親方らしい男は、そこからすぐですが、見ないが好いのですよと言った。
 もう十二時に近かった。私は親方に別れて歩いた。焼け残りの建物の端になった所に小さな掘割の水があって、橋がかかり、その袂に交番があった。見るとその交番の手前になった建物の前に人がたくさん立っていた。そこには火事の怪我人であろう、破れた衣類を着た子供や女が手と言わず足と言わず体中を繃帯して筵の上にごろごろしていた。後で気がついたが、それは被服廠跡から救いだした人人であった。両足と頭に繃帯した五つぐらいの女の児が足を投げだして坐り、片手に小さな茶碗を差し出しているのに、半纏を着た男が水筒の水を注いでやっていた。私は呼吸《いき》づまるような感じがした。
 路の右側には天幕を張って警官が出入りしていた。私は橋を渡って往った。蔵前の専売局の煙突がすぐ前岸に見えた。右側には大きな邸宅跡の石垣の崩れがあった。石垣の内は大きな泉水になって、まわりの樹木は焼けたり折れたりしていた。その邸宅跡をすぎると兵士の一人が路ぶちに立っていた。私は被服廠はその奥らしいと思ったので、兵士の方へは往かずに手前から焼け跡を切れて往
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