ことになっておる。」
といった。そしてとうとう夢が醒めたようになった。手をやってなでてみると四面は皆壁であった。庚娘は始めて自分は死んでもう葬られているということを悟った。庚娘は困ってもだえたが苦しい所はなかった。
悪少年が庚娘の葬具が多くてきれいであったのを知って、塚を発《あば》いて棺を破り、中を掻《か》きまわそうとして、庚娘の活きているのを見て驚きあった。庚娘は悪少年達に害を加えられるのが懼《おそ》ろしいので、哀願していった。
「あなた達が来てくだされたばかりで、私は外に出ることができたから、頭の物は皆あげます。どうか私を尼寺へでも売ってください。そうすればすこしはお金になりましょう。私は決してひとにもいわないですから。」
悪少年達は頭を地にすりつけていった。
「奥さんの貞節なことは、ほめないものはありません。私達は貧乏でしかたがないから、こんな悪いことを致しました。どうかひとにもいわないようにしてくださいますなら、しあわせです。どうして尼寺などへ売られましょう。」
庚娘はいった。
「これは、私から好きこのんでゆくのですから。」
すると他の一人の悪少年がいった。
「鎮江《ちんこう》の耿《こう》夫人はひとりぼっちで子供がありません。もし奥さんがいらっしゃるなら、きっと大喜びをしますよ。」
庚娘はそれに礼をいって、自分で頭の物を抜いてそっくり悪少年にくれてやった。悪少年はどうしても取らないので、無理にやった。そこで悪少年はそれを戴いて受けとり、とうとう庚娘を載せて鎮江へいった。庚娘は耿夫人の家へいって、難船して迷っている者だといった。耿夫人の家は豪家で自分一人で何もかもやっていたが、庚娘を見てひどく喜んで、自分の子にした。そしてちょうど二人で金山へいって帰るところであった。庚娘はその故《わけ》を精しく話した。金はそこで耿夫人の舟へいって夫人を拝した。夫人は金を婿のように待遇して、一緒に伴れてその家へいった。
金はそこで数日逗留して始めて帰って来たが、以後往来を絶たなかった。
底本:「聊斎志異」明徳出版社
1997(平成9)年4月30日初版発行
底本の親本:「支那文学大観 第十二巻(聊斎志異)」支那文学大観刊行会
1926(大正15)年3月発行
入力:門田裕志
校正:松永正敏
2007年8月12日作成
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