庚娘
蒲松齢
田中貢太郎訳
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)金大用《きんたいよう》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一|艘《そう》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「竹かんむり/高」、第3水準1−89−70]《さお》
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金大用《きんたいよう》は中州《ちゅうしゅう》の旧家の子であった。尤《ゆう》太守の女《むすめ》で幼な名を庚娘《こうじょう》というのを夫人に迎えたが、綺麗《きれい》なうえに賢明であったから、夫婦の間もいたってむつましかった。ところで、流賊の乱が起って金の一家も離散した。金は戦乱の中を両親と庚娘を伴《つ》れて南の方へ逃げた。
その途中で金は少年に遇った。それも細君《さいくん》と一緒に逃げていく者であったが、自分から、
「私は広陵《こうりょう》の王《おう》十八という者です。どうか路案内をさしてください。」
といった。金は喜んで一緒にいった。河の傍《そば》へいった時、庚娘はそっと金に囁《ささや》いた。
「あの男と一緒に舟に乗ってはいけませんよ。あれは時どき私を見るのです。それにあの目は、動いて色が変りますから、心がゆるされませんよ。」
金はそれを承知したが、王が心切に大きな舟をやとって来て、代って荷物を運んでくれたり、苦しいこともかまわずに世話をしてくれるので、同船をこばむこともできなかった。そのうえ若い細君を伴れているので、たいしたこともないだろうという思いもあった。そして一緒に舟に乗って、細君と庚娘とを一緒においていると、細君もひどくやさしいたちであった。
王は船の舳《へさき》に坐って櫓《ろ》を漕《こ》いでいる船頭と囁《ささや》いていた。それは親しくしている人のようであった。
間もなく陽が入った。水路は遥かに遠く、四方は漫漫たる水で南北の方角も解《わか》らなかった。金はあたりを見まわしたが、物凄いのでひどく疑い怪しんだ。暫《しばら》くして明るい月がやっとのぼった。見るとそのあたりは一めんの蘆《あし》であった。
舟はもう舟がかりした。王は金と金の父親とを上へ呼んだ。二人は室の戸を開けて外へ出た。外は月の光で明るかった。王は隙《すき》を見て金を水の中へつきおとした。金の父親はそれを見て大声をあげようとすると、船頭が※[#「竹かんむり/高」、第3水準1−89−70]《さお》でついた。金の父親もそのまま水の中へ落ちてしまった。金の母親がその声を聞いて出て窺《のぞ》いた。船頭がまた※[#「竹かんむり/高」、第3水準1−89−70]でつきおとした。王はその時始めて、
「大変だ、大変だ、皆来てくれ。」
といった。金の母親の出ていく時、庚娘は後にいて、そっとそれを窺《のぞ》いていたが、一家の者が尽く溺れてしまったことを知ると、もう驚かなかった。ただ泣いて、
「お父さんもお母さんも没くなって、私はどうしたらいいだろう。」
といった。そこへ王が入って来て、
「奥さん、何も御心配なされることはありませんよ。私と一緒に金陵《きんりょう》にお出でなさい。金陵には田地も家もあって、りっぱにくらしておりますから。」
といった。庚娘は泣くことをやめていった。
「そうしていただくなら、私は他に心配することはありません。」
王はひどく悦んで庚娘を大事にした。夜になってしまってから王は女を曳《ひ》いて懽《かん》を求めた。女は体※[#「女+半」、265−15]《たいはん》に託してはぐらかした。王はそこで細君の所へいって寝た。
初更がすぎたところで、王夫婦がやかましくいい争いをはじめたが、その由《わけ》は解らなかった。それをじっと聞いていると、細君の声がいった。
「あなたのしたことは、雷に頭をくだかれることですよ。」
と、王が細君をなぐりつける音がした。細君は叫んだ。
「殺せ、殺せ。死ぬるがいい、死にたい。人殺の女房になっているのはいやだ。」
王の吼《ほ》えるように怒る声がして、細君をひッつかんで出ていくようであったが、続いてどぶんと物の水に落ちる音が聞えて来た。
「だれか来てくれ、女房が水に落ちたのだ。」
王のやかましくいう声がした。
間もなく金陵にいった。王は庚娘を伴《つ》れて自分の家へ帰って、堂《おく》へ入って母親に逢った。母親は王の細君が故《もと》の女でないのを不審がった。王はいった。
「あれは水に堕《お》ちて死んじゃったから、これをもらったのです。」
寝室へ帰って王は庚娘に迫った。庚娘は笑っていった。
「男子が三十になって、まだ人の道が解らないのですか。市《まち》の小商人の子供でさえ、初めて結婚する時には、いっぱいの酒を用いるじゃありませんか。そ
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