た。
(お掃除にあがりました、)
(嘘を吐け、そんな嘘を吐いたつて、俺はちやんと知つてるんだぞ、貴様は俺を殺しに来たんだらう、信平に頼まれて、俺を殺しに来たんだらう、)
相手になつてはいけないので何も云はずに黙つてゐた。
(女房も殺した上に、俺までも殺して、俺の財産を取らうとしてゐるんだな、悪党、そんなことで貴様なんかに騙される俺ぢやないぞ、馬鹿野郎、)
養父は飛びあがるやうに起ちあがつて、握つた右の手を突き出した。
(貴様なんかに殺されてたまるか、這入つてみろ俺が殺してやる、)
それは朝から雨の降つてゐる冷え冷えとして気持の好い日であつた。養父は起つて室の中を歩いてゐた。
(お掃除を致しませう、)
養父はちらと此方を見た後に、黙つて右の方の隅へ歩いて行つて立つた。で、袂から小さな鍵を出して、格子戸へかけてある海老錠を開けて、傍へ置いてあつた箒や塵取を持つて中へ這入つたが、病人に出られないやうにと好く後を締め、それからはたきで格子戸から鴨居へかけてはたきはじめた。
(おい、おい、)
用事がありさうに呼ぶ声がするのではたきの手を止めて振り返つた。養父が痩せた骨張つた右の掌を見せて招いてゐる。
(ちよつと来て見たまへ、ちよつと来て見たまへ、)
何事であらうかと寄つて行つた。
(はい、)
(君だけに話してやることがある、秘密の話だよ、決して人に云つてはならんぞ、)
(はい、決して口外致しません、)
(決して云つてはいけないぞ、大変な秘密なんだから、)
(はい、)
(もすこし寄つて来い、)
なんだか気味が悪るかつたが、寄らない訳にも行かないので養父の顔の傍へ自分の顔を寄せて行つた。
(お前は、わしの家内のゐる所を知つてゐるのか、知らないだらう、それは、わし以外、何人も知らないことなんだ、決して云つてはならんぞ、これを人に云ふと、世間が大騒ぎになつて、警視総監は免職になるんだ、好いか、)
(はい、)
(大変な秘密なんだが、お前にだけ云つてやる、わしの家内は、この傍にゐるんだ、あれは死にもかどわかされもしてゐないぞ、すぐこの傍にゐるんだ、この――谷には、あかずの家と云ふ家があるんだ、お前達には判らないが、わしの眼にはちやんと見える、それは昔、切支丹屋敷にゐた伴天連が、封じて開かないやうにして、その上に人の眼に見えないやうにした屋敷なんだぞ、わしの家内は其所にゐるん
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