たところが、電車の乗替へで女と出くはして無理に連れて行かれた。養父の一周忌のことであるからどうしても行かなくてはならないと思ひながら、ひつ張られて夕方になり、夕方がまた十時になり、その十時ももう十分過ぎてゐた。
(叔父が煩いから、帰らなくちやならない、もう、屹と一度や二度は女中をよこしてゐる、)
 それでも何かしらしてゐる内に、五分ぐらいは過ぎてゐたらうから、電車が三十分としても、もう十一時にはなつてゐる。仮令自分が来て待つてゐないまでも、屹と女中をよこして帰り次第家へ来るやうに云つて来さしてあるに違ひないと思つた。と、渋紙色の顔をして朝晩に何かをたくらんでゐるやうな、すこしも人に腹の奥底を見せない老人の顔が眼前に浮んで来た。
(あの旦那のためには、随分泣かされた人があると云ひますからね、ほんとにあの旦那は、恐ろしい方ですよ、それに、あなたとは、本当の叔父甥ぢや無いでしよ、)
 乳母が云つた言葉が浮んで来た。父の従弟にあたる信平は、体一つで東京へ出て来て、彼方此方と渡り歩いてゐる内に藤村と云ふ金貸をしてゐる家へ出入りするやうになつて、到頭其所の番頭のやうな者になつたが、主人が亡くなつて、その家が商売を止めることになると、ちよとした金を貰つて、主人の姪で寡婦になつてゐた者と結婚して家を持つたのであつた。
(信平のことぢや、何をしてをつたか判つたことぢやない、もうそれまでに、自分でうんと拵へてをつたに違ひないよ、)
(貰つたと云つても、それやたいしたものぢやないよ、自分で拵へてをつたからさ、どうしてあの男は、子供の時から、一筋縄では行かない奴だつたよ、)
 小さな時父親や知合の者がしてゐた叔父の噂を覚えてゐた。
(当節は、親子でも、兄弟でも、気が許されないのに、親類と云ふくらゐで、気を許しては駄目ですよ、)
 義直には乳母の云ふ言葉の意味が好く判つてゐた。
(家の旦那がこんなになつたのも、理由がありますよ、ほんとに恐ろしいことですよ、)
 養父は気が狂つて離屋の座敷牢の中にゐた。
(私はちやんと知つてますよ、それや、旦那のお父様も狂人で、皆が血統だと云ひますが、そんなことはありませんよ、私は、赤ちやんの時からお育てしましたが、お利巧な、落ついた方でしたよ、血統なんかぢやありませんよ、)
 宮原の家は藤村の遠縁に当る家であつた、信平は其所の一人者の若主人の後見するやうにな
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