酪《そらく》があるので口にしようとした。窈娘は急いでその手をおさえた。
「すこし待ってください、どうもすこし怪しいことがありますから」
窈娘はその飲物を取って庭前《にわさき》に遊んでいる犬の前へ捨てた。犬は喜んでそれをべろべろと嘗めはじめたが、皆まで嘗めないうちに唸声を立ててひっくりかえって死んでしまった。
「これは、奥さんのやったことですよ」
焦生は珊珊を悪魔のように思いだしたが、すぐ放逐するわけにもいかなかった。そのうちに、焦生の悪政が中央へ知れて、今にも罪を得そうになってきた。焦生は腹心の客と相談して、権力のある中央の大官に賄賂を入れてその罪を遁《のが》れようとした。そこで、莫大な金を出して、王鼎《ぎょくてい》と冬貂《とうてん》を買い入れたが、買った晩に鼎が破れ、裘《けごろも》が焼けてしまった。窈娘はそれを珊珊の仕業だと言った。焦生は狂人のようにして杖で珊珊を打ち叩いた後に、外へ突き出してしまった。
賄賂がゆかなかったために、焦生は罪を得て雲南軍の卒伍《そつご》の中へ追いやられることになった。三人の監者《かんしゃ》が焦生を送って、鳳凰庁下《ほうおうちょうか》の万山という山の中まで往った。もう長いこと道を歩いたことのない焦生は、それがために両足が腫れあがって動けなくなった。監者達はびしびしと叩いて歩かせようとしたが、とても歩けそうにもないので、いっそ殺してしまって雲南へ行く労を遁れようとした。
監者の一人は刀を抜いて焦生の首に持って往った。一匹の虎が何処からともなく出てきて、その監者をはじめ三人の者を食い殺した。死人のようになって意識を失っていた焦生は、耳許で女の声がするので恐るおそる眼を開けて見た。其処には珊珊が立っていた。
「私は、ほんとうは人間ではありません、貴郎がお父さんを助けてくだされましたから、その御恩返しに、貴郎のお傍にいて、いろいろ災難を防いであげました」
世の中に身の置き処がなくなった焦生は、珊珊に伴れられてその家へ往った。それは見覚えのある彼の家であった。小さな乳呑児が榻の上に寝ていた。
「これはあなたの児《こども》ですよ」
焦生夫婦は後に上昇したのであった。
底本:「中国の怪談(二)」河出文庫、河出書房新社
1987(昭和62)年8月4日初版発行
底本の親本:「支那怪談全集」桃源社
1970(昭和45)年発行
入力:Hiroshi_O
校正:noriko saito
2004年11月3日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全2ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
田中 貢太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング