海岸へ強いて開設する港のことであるから、思うように工事がはかどらなかった。
権兵衛は東側の堰堤を伝って突端の方へ往こうとしていた。その時五十二になる権兵衛の面長なきりっとした顔は、南の国の強い陽の光と潮風のために渋紙色に焦げて、胡麻塩《ごましお》になった髪も擦《す》り切れて寡《すくな》くなり、打裂《ぶっさき》羽織に義経袴《よしつねばかま》、それで大小をさしていなかったら、土地の漁師と見さかいのつかないような容貌《ようぼう》になっていた。
それは延宝七年の春の二時《やつ》すぎであった。前は一望さえぎる物もない藍碧《らんぺき》の海で、其の海の彼方《かなた》から寄せて来る波は、※[#「革+堂」、第3水準1−93−80]《ど》どんと大きな音をして堰堤に衝突とともに、雪のような飛沫をあげていた。其処は左に室戸岬、右に行当岬《ぎょうどうざき》の丘陵が突き出て一つの曲浦《きょくほ》をなしていた。堰堤の内の半ば乾あがった赤濁った潮の中には、数百の人夫が散らばって、沙を掘り礁《はえ》を砕いていたが、其のじゃりじゃりと云う沙を掘る音と、どっかんどかんと云う石を砕く音は、波の音とともに神経を掻きまぜた。また掘りあげた沙や砕いた礁の破片《かけら》は陸へ運んでいたが、それが堰堤の上に蟻《あり》が物を運ぶように群れ続いていた。
権兵衛は所有《もちまえ》の烈しい気象を眉にあらわしていた。はかどらなかった難工事も稍緒《ややちょ》に就いて、前年の暮一ぱいに港内の掘りさげが終ったので、最後の工事になっている岩礁を砕きにかかったところで、思いの外に岩質が硬くて思うように砕けなかった。それに当時の工事であるから、岩を砕くにも大小の鉄鎚《かなづち》で一いち打ち砕くより他に方法がないので、それも岩礁砕破の工事の思うようにならない原因の一つでもあった。
堰堤の外側には鴎《かもめ》の群が白い羽を夕陽に染めて飛んでいた。陸《おか》の畑には豌豆《えんどう》の花が咲き麦には穂が出ているが、海の風は寒かった。権兵衛は沙や礁の破片《かけら》を運ぶ物[#「運ぶ物」はママ]を避け避けして往った。沙を運ぶ者は、笊《ざる》に容れて枴《おうこ》で担い、礁の破片を運ぶ者は、大きな簣《あじか》に容れて二人で差し担って往《ゆ》くのであった。
「よいしょウ、よいしょウ」
「おもいぞ、おもいぞ」
「いそぐな、いそぐな」
「急いでもわれ
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