組みして考えこんだ。廊下へ武次がどかどかと来た。
「旦那、湯が沸いたが」
権兵衛は顔をあげた。
「湯か」
「後がつかえるから、早《はよ》う入ってもらいたいが」
「俺は今日は、入らん、今井《いまい》さんに入れと云え」
「殿様が来ておるに、湯に入って垢《あか》を落とせばええに」
武次はまだ何か云いながら往ってしまった。権兵衛は口元に苦笑をからめたが、すぐまた考えこんだ。
その時浜の方で法螺《ほら》の音がしはじめた。人夫に仕事を措《お》かす合図であった。仕事を措いた人夫が囂囂《がやがや》云いながらあがって来た。人夫は地元の者もあれば、隣村の者もあり、また遠くから来て小舎掛をして住んでいる者もあった。
五
間もなく夜になった。其の夜は月がないので暗かった。其の夜の八時《いつつ》すぎになって堰堤の突端に松明の火が燃えだした。其処には明珍長門家政《みょうちんながといえまさ》作の甲冑《かっちゅう》を著《つ》けて錦の小袴を穿《は》き、それに相州行光《そうしゅうゆきみつ》作の太刀を佩《は》いた権兵衛|政利《まさとし》が、海の方に向けてしつらえた祭壇の前にひざまずいていた。そして、其の周囲《まわり》には一木家の定紋《じょうもん》の附いた紫の幔幕《まんまく》を張りめぐらしてあった。
「どうか私の此の体を犠牲《いけにえ》に御取りくださいまして、釜礁《かまばえ》を除くお赦《ゆるし》を得とうございます」
下僚《したやく》たちは権兵衛が云いつけてあるので何人《たれ》も傍に来ている者がなかった。
「此の礁が一日も早く除《と》れまして、此の荒海を往来する諸人《もろびと》をお助けくださいますようにお願いいたします。こうして犠牲《いけにえ》に献《あが》りました私の生命《いのち》は、速刻お召しくださいましても厭《いと》うところでございません」
権兵衛は一人で朝まで祈願をこめていた。朝になって室戸岬の沖あいから朝陽が杲杲《きらきら》と登りかけたところで、人夫たちが集まって来た。
人夫たちは左右の堰堤を伝って己《じぶん》の持場につこうとしていた。礁の方にかかっている五六十人ばかりの人夫は其処からおりるべく祭壇の近くへ来た。それと見て権兵衛は幔幕の一方を解いて姿をあらわした。人夫たちは甲冑の武者を見て驚きの眼をそばだてた。
「あ」
「何事じゃ」
「何人《たれ》じゃ」
「彼《あ》の
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