。
八畳のあつさりした室の一方は床になつて、草書の大字を書いた軸がかゝり、その前の置き花生けには燕子花のやうな草花がさしてあつた。その床の右並びに黒い小さな机があつて五六冊の本が積んであつた。
男は机の傍から水色の蒲団を持つて来て室の中程へ置いた。
「お坐り、誰も遠慮する者はない、」
お幸ちやんはもぢもぢして立つてゐたが坐らないわけに行かないのでその傍へ行つて坐つた。男はその時、机の前にあつた自分の平生敷いてゐるらしい赤い蒲団を取つて来てその前に置いて坐つた。
「蒲団を敷くが好いぢやないか、蒲団を敷いたつて、敷かなかつたつて、座敷料は同じだよ、」
男は笑つてお幸ちやんの顔を見た。お幸ちやんは口元に手をやつて笑つた。
「さあ、敷くが好いだらう、」
お幸ちやんはやつと蒲団の上にずりあがるやうにした。
「茶は出さないよ、面倒だから、その代りこんなものがある、」
男は立つて一方の押し入れの方へ行つた。
「もうなにも宜しうございます、直ぐお暇いたしますから、」
「あんたの家のやうな御馳走ではないが、ちよいと好いもんだよ、花から取つた物だと云ふんだ、」
男は押し入を開けて三角になつた薄赤い液の入つた罎と、小さなコツプを二つ持つて来て、坐りながらそれを二つのコツプに注いで一つをお幸ちやんの前へと置いた。
「珍しい物だよ、まだ日本には無いよ、」
男はかう云つてから自分の前にコツプを持つてぐつと一息に飲んだ。
「アルコールも何も入つてゐないから、水を飲むと同じだよ、」
お幸ちやんはあんなに云つてくれるのを飲まないのも悪いと思つた。
「では戴きます、」
「飲んで御覧、なんでもないよ、」
お幸ちやんは行儀好くコツプを取つて口に持つて行つた。それは少し甘味のある軟かなほんのりと香のある飲物であつた。
「どうだね、ちよいと好い物だらう、」
「本当に好い匂ですこと、」
お幸ちやんは半分ばかり飲んでから下に置いた。
「お幸ちやんが、折角遊びに来てくれたんだから、昼だと写真でも取つてあげるが、夜ぢやはつきり写らない、写真は今度にして、今晩は、」
男はさう云つてちよと考へ込んだ。
「もう、どうぞ、店をそのままにしてありますから、直ぐ失礼します、」
「さうだ、あれが好い、一つ友達から土産に貰つた化粧箱がある、あれをあげよう、」
「もう、どうぞ、何も沢山でございます、」
「好いぢ
前へ
次へ
全11ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
田中 貢太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング