、あの姉さんですか、」
秀夫は合点が行かなかつた。今の女中もさう顔立の悪い女ではなかつたがあんな沢のない乾からびたやうな女ではなかつた。
「お待ちどほさま、」
はじめの女中が二皿の料理を持つてやつて来た。
「この方が、あんたが琵琶を弾いてなはつたところを、見なはりやしたと言ひなはるよ、」
円髷の女中はにつと笑つた。
「まだ好い女と言うてくれなはつて、」
「さうだす、綺麗な姉さん言いなはりやつたわ、おごりなさい、」
秀夫もしかたなしに笑つてその女の潤みのある眼をちらと見て、どうもをかしいすこし間を置いて見るとあんなに違つて見えるものかと思つたが、それにしても輪郭の好いみづみづした顔に見えたのは不思議だと思つた。
秀夫は欺かれたやうな気がして興味もなくなつたので、料理を喫つてしまつて帰つて来たが、どうしても不思議でたまらなかつた。で、翌晩、飯の済んだ後で、又琵琶を弾いてゐた綺麗な女のことを思ひ出して、新京橋の上へとやつて来た。
牡蠣船は艫の右の障子が開いて綺麗な女中が何時かの所に坐つて琵琶を弾いてゐた。秀夫は欄干に添ふて立つてぢつとその方へ眼をやつた。と、綺麗な女は此方を見て紅い唇を見せてにつと笑つた。彼はそのまゝ牡蠣船へと行つた。
円髷の女中と小女とが彼の来るのを待つてゐたやうに出て来た。秀夫はその円髷の後から随いて行くと、艫の向ふからは左になつた室へと通された。彼は琵琶の音はしないかと思つて耳を立てたが琵琶は聞えなかつた。彼は女中に西洋料理とビールを註文して、女中が出て行くと起つて行つて境の襖の間を軋ませて、その際から覗いてみた。其所には乾からびたやうな眼に潤みのある女中が銚子を持つてゐた。
「何を覗いてゐやはります、」
「琵琶が鳴つてゐるやうに思つたから、」
秀夫はさう言ひ言ひ食卓の前に坐つた。
「綺麗な姉さんを覗いてゐやはりましたか、さつきまで弾いてゐやはりましたが、やめました、」
「今、向ふから見ると弾いてゐたやうですが、」
「それはさつきだすやろ、」
「をかしいな、」
秀夫は時間の距たりが不思議であつたが、それは女中の思ひ違ひであらうと思つた。そして綺麗な女がゐなければ別に飲み食ひはしたくないので一時間ばかりで出て来たが、綺麗な女のことが気になるので新京橋の上に行くと又振り返つて見た。艫の右の室には綺麗な女が姿を見せてゐたが琵琶は持つてゐな
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