つまず》いて往来へ転がり落ちた。由平は刀を下敷にして死んだのであった。
 それから何年か経って、由平の姪《めい》が某《ある》製糸工場の女工になって、寄宿舎に寝ていると、某夜廊下に人の跫音《あしおと》がして障子が開いた。姪は驚いて其の方へ眼をやった。其処には男の姿があった。姪は驚いて咎《とが》めようとしたが声が出なかった。そんなことが三晩続いた。姪は鬼魅《きみ》悪くなって寄宿舎を逃げ出そうと思ったが、ふと其の男を何処《どこ》かで見たことがあるような気がしたので、いろいろと考えているうちに、それは叔父の由平に似ているのだと云うことに気がついた。そこで彼女は早速寺へ往って叔父のためにお経をあげてもらった。すると、其の夜から男の姿が現われないようになった。
 阿芳の自殺した江此間の海岸は、今は海水浴場になって、附近には立派な別荘や旅館などが建っているが、阿芳の投身したと云われる所は、三百坪ばかりの空地になっていて、何人《たれ》もそれに手をつける者がなかった。万一《もし》手をつける者があると阿芳の怨霊に祟《たた》られると云われていた。
 阿芳の怨霊の事は、明治の終り比《ごろ》までは有名であったが、其の後は次第に忘れられていた。ところで、昭和二年の夏になって、又其の話がむしかえされるようになった。それは其の空地で芝居をやったところで、好天気でもあり客は満員の盛況であったが、一幕終った比から天気が急変して大雨になり、続いて其の翌日も、翌々日も、五日続けて同じような時刻になって雨が降ったので、芝居はめちゃめちゃになり、土地の人は阿芳の怨霊をそれに結びつけたのであった。



底本:「怪奇・伝奇時代小説選集3 新怪談集」春陽文庫、春陽堂書店
   1999(平成11)年12月20日第1刷発行
底本の親本:「新怪談集 物語篇」改造社
   1938(昭和13)年
入力:Hiroshi_O
校正:noriko saito
2004年9月25日作成
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