しまった。阿宝は悲しんで眠りもしなければ食事も摂らないので、皆がいろいろと勧めたけれども、その言葉を用いなかった。そして夜にまぎれて縊死《いし》しようとした。婢が知って急に救けてよみがえらしたがとうとう食事を摂らなかった。
三日過ぎて親類や友人が集まって、孫の死骸を葬ろうとした。と、棺の中からうめき声が聞えてきた。開けてみると孫は活きかえっていた。
「冥王の前へ往ったところが、冥王は僕が平生の誠実を知っておって部曹《ぶそう》にしてくれた、すると人が来て、孫部曹の妻がじきにまいりますと言った、で、王は記録を見て、これはまだ死なす者じゃないと言うと、三日も食べずにおりますからと言った、そこで王は僕の方をふりかえって、汝が妻の節義に感じて、いきかえらしてやると言って、馬に乗せて送りかえしてくれたのだ」
それから孫の体はだんだんと回復した。そのうちに官吏登用試験がきた。孫もそれに応ずることになったが、試験場に入る前にあたって、悪戯の少年達はまた孫をからかって、七つ出ることになっている試験の題になぞらえたものを作り、孫を人のいない所へ伴れて往って話した。
「これは某という家へ賄賂を贈って得たものだから、君にあげるよ」
孫はほんとうにして昼夜いろいろと工夫して七つの文章を作った。少年達は隠《ひそか》に笑いあった。その時試験官は熟《な》れた題では受験者が前人の文章を模倣するの弊があると思って、力《つと》めて変った題を出した。その題は皆孫の作った文章に符合していた。そこで孫は郷試に選ばれ、翌年は進士に挙げられて翰林《かんりん》を授けられた。天子は孫の不思議を聞いて召してお尋ねになった。孫は謹んで申しあげた。天子は非常にお喜びになって、阿宝に拝謁を仰せつけられ、たくさんの下されものがあった。
底本:「中国の怪談(二)」河出文庫、河出書房新社
1987(昭和62)年8月8日初版発行
底本の親本:「支那怪談全集」桃源社
1970(昭和45)年11月30日発行
※「頸《くび》まで赧《あか》くして、」は、底本では「頸《くび》まで※[#「赤+報のつくり」、130−5]《あか》くして、」でしたが、親本を参照して直しました。
入力:Hiroshi_O
校正:門田裕志、小林繁雄
2003年8月3日作成
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