家の者もやはりそういって※[#「王+玉」、第3水準1−87−90]に冗談をいったが、後になってその鸚鵡は鎖《くさり》を断《き》って亡《に》げていった。玉も※[#「王+玉」、第3水準1−87−90]も始めて阿英が旧約があるといった言葉の意味を悟ることができた。
 ※[#「王+玉」、第3水準1−87−90]は阿英が人でないことを知ったが、しかし阿英のことを忘れることができなかった。嫂はなお一そう阿英のことを思って朝夕に泣いていた。玉は阿英に出ていかしたことを後悔したが、どうすることもできなかった。二年して玉は※[#「王+玉」、第3水準1−87−90]のために姜《きょう》氏の女を迎えたが、※[#「王+玉」、第3水準1−87−90]はどうしても満足することができなかった。
 玉に従兄《いとこ》があって粤《えつ》で司李《しほうかん》をしていた。玉はその従兄の所へいって長い間帰らなかったところで、たまたま土寇《どこう》が乱を起して、附近の村むらは、大半家を焼かれて野になった。※[#「王+玉」、第3水準1−87−90]は大いに懼れて、一家の者を伴《つ》れて山の中へ逃げた。そこにはたくさんの男女がいたが、だれも知った人はなかった。不意に女の小さな声で話をする声が聞えて来た。それがひどく阿英に似ているので、嫂は※[#「王+玉」、第3水準1−87−90]にそういって傍へいって験《しら》べさした。果してそれは阿英であった。※[#「王+玉」、第3水準1−87−90]はうれしくてうれしくてたまらないので、そのまま臂《て》をつかまえて釈《はな》さなかった。女はそこで一緒に歩いていた者にいった。
「姉さん、あなたは先に帰ってください。私は甘の姉さんにお目にかかって来ますから。」
 もう嫂がそこへ来た。嫂は阿英を見て泣いた。阿英は嫂を慰めた。そしていった。
「ここは危険です。」
 阿英はそこで勧めて家へ帰そうとした。※[#「王+玉」、第3水準1−87−90]をはじめ皆土寇の来るのを懼れて引返そうとしなかった。阿英は強《し》いていった。
「だいじょうぶです。」
 そこで一緒になって帰って来た。阿英は土で戸を塞《ふさ》いで家の中から外へ出ないようにさした。そして、坐って、二言三言話をするなり帰っていこうとした。嫂は急にその腕をつかみ、また二人の婢に左右の足をつかまえさした。阿英は仕方なしにいることになった。しかし、もう私室には入らなかった。※[#「王+玉」、第3水準1−87−90]が三、四回もそういったので、やっと一回入った。
 嫂は平生阿英に新婦は美しくないから※[#「王+玉」、第3水準1−87−90]の気に入らないといった。阿英は朝早く起きて姜《きょう》の髪を結い、細く白粉《おしろい》をつけてやった。※[#「王+玉」、第3水準1−87−90]が入っていくと姜は数倍美しさを増していた。こんなことを三日位やっているうちに、姜は美人になった。嫂はそれを不思議がった。そこで嫂はいった。
「私に子供がないから、妾を一人おかそうと思うのですが、金がないからそのままになっているのです。家の婢でも佳い女にすることができるのでしょうか。」
 阿英はいった。
「どんな人でもできるのです。ただ質の佳い人なら、ぞうさなしにできるのです。」
 とうとう婢の中から一人の色の黒い醜い女をよりだして、それを傍へ喚んで一緒に体を洗い、それに濃い白粉と薬の粉とを交えた物を塗ってやったが、三日すると顔の色がだんだん黄ろくなり、また数日すると光沢が出て来てそれが皮肌にしみとおって、もう立派な美人になった。
 甘の家では毎日笑っていて、兵火のことなどは考えていなかった。ある夜四方が騒がしくなった。どうも土寇が襲って来たようであるから皆が驚いたが、どうしていいかわからなかった。と、俄《にわか》に門の外で馬の嘶《いなな》く声と人のわめく声が交って聞えだしたが、やがてそれががやがやと騒ぎながらいってしまった。
 夜が明けてから事情が解った。土寇の群は掠奪《りゃくだつ》をほしいままにして、家を焼き、巌穴《いわあな》に匿《かく》れている者まで捜し出して、殺したり虜《とりこ》にしたりしていったのであった。甘の家ではますます阿英を徳として、神のように尊敬した。不意に阿英は嫂にいった。
「私がこちらへあがりましたのに、嫂さんがこれまで私に尽してくだされたことが忘れられないので、盗賊の難儀を分けあったのですが、兄さんがいらっしゃらないから、私は諺にいう、李にあらず奈にあらず、笑うべき人なりということになります。私はこれから帰って、また間《ひま》を見て一度伺います。」
 嫂は訊いた。
「旅に出ている者は無事でしょうか。」
 阿英はいった。
「途中に大きな災難がありますが、これは秦の姉が大恩を受けておりますから、きっと恩返しをするのでしょうから、まちがいはないでしょう。」
 嫂は阿英を止めてその晩は寝さしたが、夜の明けきらないうちにもういってしまった。
 玉は東粤《とうえつ》で乱を聞いて昼夜兼行で帰って来たところで、途で土寇の一群に遇った。主従は馬を乗りすてて金を腰にしばりつけ、草むらの中に匿れていた。鸚鵡《おうむ》のような一羽の秦吉了《しんきちりょう》が飛んで来て棘《いばら》の上にとまって、翼《つばさ》をひろげて二人を覆《おお》った。玉は下からその足を見た。一方の足には一本の爪がなかった。玉は不思議に思った。俄に盗賊が四方から迫って来て、草むらの中をさがしだした。主従は息をころして動かなかった。盗賊の群はいってしまった。すると鳥が始めて飛んでいった。そこで家へ帰ってそのことを家の者に話した。玉は始めて秦吉了がいつか救った美しい女であったということを知った。
 後になって玉が他出して帰らないようなことがあると、阿英はきっと夕方に来て、玉が帰る時刻を計って急いで帰っていった。※[#「王+玉」、第3水準1−87−90]は嫂の所で阿英に逢うようなことがあると、おりおり自分の室《へや》へ伴《つ》れていこうとしたが、阿英は承知しながらいかなかった。
 ある夜玉が他出した。※[#「王+玉」、第3水準1−87−90]は阿英がきっと来るだろうと思って、そっと匿れて待っていた。間もなく阿英が来た。※[#「王+玉」、第3水準1−87−90]は飛びだしていって立ち塞がり、自分の室へ伴れていった。阿英がいった。
「私は、もうあなたとは縁がつきております、強いて合うと、天に忌《にく》まれます。すこし余裕をこしらえて、時どき会おうではありませんか。」
 ※[#「王+玉」、第3水準1−87−90]は聴かないで阿英を自分の室に泊めた。夜が明けてから阿英は嫂の所へいった。嫂は不審がった。阿英は笑っていった。
「中途で悪漢に劫《おびや》かされたものですから、嫂さんにお侍たせしました。」
 阿英は二言三言いってから帰っていった。嫂はそのままそこにいたところで、一疋《いっぴき》の大きな猫が鸚鵡をくわえて室の前を通っていった。嫂はびっくりした。嫂はこれはどうしても阿英だろうと思った。その時嫂は髪をかいてた。嫂は手をとめて急に人を呼んだ。家の内の者が皆大騒ぎをして猫を追いまわして、やっと鸚鵡をとりかえした。鸚鵡は左の翼に血がにじんでやっと息をしていた。嫂はそれを抱いて膝の上に置いて撫でさすった。暫くして鸚鵡はやっと正気づいて来た。そこで啄《くちばし》で翼をつくろって飛びあがり、室の中をまわっていった。
「姉さん、姉さん、お別れします。私は※[#「王+玉」、第3水準1−87−90]さんを怨みます。」
 そして翼をのしていってしまったが、もう二度と来なかった。



底本:「聊斎志異」明徳出版社
   1997(平成9)年4月30日初版発行
底本の親本:「支那文学大観 第十二巻(聊斎志異)」支那文学大観刊行会
   1926(大正15)年3月発行
入力:門田裕志
校正:松永正敏
2007年8月12日作成
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