する人ですなア。乞食してゐて五十錢も貰つたら、俺だつて歩くのが可厭《いや》になりますよ。第一、今時は大抵の奴ア英語の少し位噛つてるから、中學生だか何だか知れたもんぢやないぢやありませんか。』
この言葉は、甚《ひど》く甲田の心を害した。たとひ對手が何にしろ、旅をして困つてる者へ金を呉れるのが何が好事《ものずき》なものかと思つたが、たゞ苦笑ひをして見せた。甲田は此時もう、一昨日金を呉れた時の自分の心持を忘れてゐた。對手が困つてるから呉れたのだと許り信じてゐた。
『いや、中學生には中學生でせう。眞箇《ほんと》の乞食なら、嘘にしろ何にしろこんな葉書まで寄越す筈がありません。』と校長が口を出した。『英語を交ぜて書いたのは面白いぢやありませんか、初めのマイデヤサーだけは私にも解るが、終《しま》ひの文句は何といふ意味です? 甲田さん。』
『私は貴方に一つの幸福を欲する――。でせうか?』と福富は低い聲で直譯した。
此木田は立つて歸りの仕度をし乍ら、
『假に中學生にしたところで、態々人から借りて呉れてやつて誑《さま》されるより、此方《こちとら》なら先づ寢酒でも飮みますな。』
『それもさうですな。』と校長が應じた。『呉れるにしても五十錢は少し餘計でしたな。』
『それぢやお先に。』と、此木田は皆に會釋した。と見ると、甲田は先刻《さつき》からのムシャクシャで、今何とか言つて此の此木田|父爺《ぢぢい》を取絞《とつち》めるてやらなければ、もうその機會がなくなるやうな氣がして、口を開きかけたが、さて、何と言つて可いか解らなくつて、徒らに目を輝かし、眉をぴり/\さして、そして直ぐに、何有《なあに》、今言はなくても可いと思つた。
此木田は歸つて行つた。間もなく福富は先刻の葉書を持つて來て甲田の卓に置いて、『年|老《と》つた人は同情がありませんね。』と言つて笑つた。そして讃美歌を歌ひに、オルガンを置いてある一學年の教室へ行つた。今日は何か初めての曲を彈くのだと見えて、同じところを斷々《きれ/″\》に何度も繰返してるのが聞えた。
それを聞いてゐながら、甲田は、卓の上の葉書を見て、成程あの旅の學生に金を呉れたのは詰らなかつたと思つた。そして、呉れるにしても五十錢は奮發し過ぎたと思つた。
底本:「石川啄木作品集 第二巻」昭和出版社
1970(昭和45)年11月20日発行
※底本の疑問点の確認にあたっては、「啄木全集 第三巻 小説」筑摩書房、1967(昭和42)年7月30日初版第1刷発行を参照しました。
※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。(青空文庫)
入力:Nana ohbe
校正:松永正敏
2003年3月20日作成
青空文庫ファイル:
このファイルはインターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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