て行つたのは、つい昨日のことである。視學はその時、此學校の兒童出席の歩合《ぶあひ》は、全郡二十九校の中、尻から四番目だと言つた。畢竟これも職員が缺席者督促を※[#「がんだれ+萬」、第3水準1−14−84]行しない爲めだと言つた。その責任者は言ふ迄もなく校長だと言つた。好人物の田邊校長は『いや、全くです。』と言つて頭を下げた。それで今日は自分が先づ督促に出かけたのである。
 この歩合といふ奴は始末にをへないものである。此邊の百姓にはまだ、子供を學校に出すよりは家に置て子守をさした方が可いと思つてる者が少なくない。女の子は殊にさうである。急《せは》しく督促すれば出さぬこともないが、出て來た子供は中途半端から聞くのだから教師の言ふことが薩張《さつぱり》解らない。面白くもない。教師の方でも授業が不統一になつて誠に困る。二三日經てば、自然また來なくなつて了ふ。然しそれでは歩合の上る氣づかひはない。其處で此邊の教師は、期せずして皆出席簿に或手加減をする。そして、嘘だと思はれない範圍で、歩合《ぶあひ》を誤魔化して報告する。此學校でも、田邊校長からして多少その祕傳をやつてゐるのだが、それでさへ仍且《なほかつ》尻から四番目だと言はれる。誠に始末にをへないのである。甲田は初めそんな事を知らなかつた。ところがこんなことがあつた。三月の修業證書授與式の時に、此木田の受持の組に無缺席で以て賞品を貰つた生徒が二人あつた。甲田は偶然その二人が話してるのを聞いた。一人は、俺《おれ》は三日休んだ筈だと言つた。一人は俺もみんなで七日許り休んだ筈だと言つた。そして二人で、先生が間違つたのだらうか何《ど》うだらうかと心配してゐた。甲田は其時思ひ當る節《ふし》が二つも三つもあつた。そこで翌月から自分も實行した。今でもやつてゐる。それから斯ういふことがあつた。或る朝田邊校長が腹が痛いといふので、甲田が掛持して校長の受持つてゐる組へも出た。出席簿をつけようとすると、一週間といふものは全然《まるで》出缺が附いてない。其處で生徒に訊いて見ると、田邊先生は時々しか出席簿を附けないと言つた。甲田は竊《ひそ》かに喜んだ。校長も矢張り遣るなと思つた。そして女教師の福富も矢張り、遣るだらうか、女だから遣らないだらうかといふ疑問を起した。或時二人|限《きり》ゐた時、直接|訊《き》いて見た。福富は眞顏《まがほ》になつて、そんな事
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