が冷えて行く様な気がする。此男は何時でも目も口も半分開けて寝てるが、俺も然《さ》うか知ら。俺は口だけ開けてるかも知れぬ、などと考へる。
 煙草に火をつけたが、怎《どう》したものか美味《うま》くない。気がつくとそれは「朝日」なので、袂を探して「敷島」の袋を出したが、モウ三本しか残つて居なかつた。馬鹿に喫んで了つたと思ふと、一本出して惜しさうに左の指で弄《いぢく》り乍ら、急いで先《せん》ののを、然も吸口まで焼ける程吸つて了つた。で、「敷島」に火をつけたが、それでも左程|美味《うま》くない。口が荒れて来たのかと思ふと、煙が眼に入る。渠は渋い顔をして、それを灰に突込んだ。
 眼を閉ぢずに寝るとは珍しい男だ、と考へ乍ら、また佐久間の顔を見た。すると、自分が、一生懸命「閉ぢろ、閉ぢろ。」と思つて居ると、佐久間は屹度アノ眼を閉ぢるに違ひないと云ふ気がする。で、下腹にウンと力を入れて、ギラギラする眼を恐ろしく大きくして、下唇を噛んで、佐久間の寝顔を睨め出した。寝息が段々|急《せは》しくなつて行く様な気がする。一分、二分、三分、……佐久間の眼は依然として瞬きもせず半分開いて居る。
 何だ馬鹿々々しいと気のついた時、渠は半分腰を浮かして、火鉢の縁に両腕を突張つて、我ながら恐ろしい形相《ぎやうさう》をして居た。額には汗さへ少し滲み出して居る。渠は平手でそれを拭つて腰を据ゑると、今迄顔が熱《ほて》つて居たものと見えて、血が頭からスウと下りて行く様な気がする。動悸も少ししてゐる。何だ、馬鹿々々しい、俺は怎して恁う時々、浅間しい馬鹿々々しい事をするだらうと、頻りに自分と云ふものが軽蔑される、…………
 止度もなく、自分が浅間しく思はれて来る。限りなく浅間しいものの様に思はれて来る。顔は忽ち燻《くす》んで、喉がセラセラする程胸が苛立つ。渠は此世に於て、此自蔑の念に襲れる程厭な事はない。
 と、隣室でドサリといふ物音がした。咄嗟《とつさ》の間に渠は、主婦《おかみ》が起きて来るのぢやないかと思つて、ビクリとしたが、唯寝返りをしただけと見えて、立つた気色《けはひ》もせぬ。ムニヤムニヤと少年が寝言を言ふ声がする。漸《やつ》と安心すると、動悸が高く胸に打つて居る。
 処々裂けた襖、だらしなく吊下つた壁の衣服、煤ばんで雨漏の痕跡《かた》がついた天井、片隅に積んだ自分の夜具からは薄汚い古綿が喰《は》み出してる
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