ク顔の肉を痙攣《ひきつ》けさせて居るのは渠《かれ》の癖であつた。色のドス黒い、光沢《つや》の消えた顔は、何方かと云へば輪廓の正しい、醜くない方であるけれども、硝子玉の様にギラギラ悪光りのする大きい眼と、キリリと結ばれる事のない唇《くちびる》とが、顔全体の調和を破つて、初めて逢つた時は前科者ぢやないかと思つたと主筆の云つた如く、何様《なにさま》物凄く不気味に見える。少し前に屈《こご》んだ中背の、齢は二十九で、髯は殆んど生えないが、六七本許りも真黒なのが頤《おとがひ》に生えて五分位に延びてる時は、其人相を一層険悪にした。
 渠が其地位に対する不安を抱き始めたのは遂《つひ》此頃の事で、以前《もと》郵便局に監視人とかを務めたといふ、主筆と同国生れの長野が、編輯助手として入つた日からであつた。今迄上島と二人で隔日に校正をやつて居た所へ、校正を一人入れるといふ竹山の話は嬉しかつたものの、逢つて見ると長野は三十の上を二つ三つ越した、牛の様な身体の、牛の様な顔をした、随分と不格好で気の利かない男であつたが、「私は木下さん(主筆)と同国の者で厶《ござ》いまして、」と云ふ挨拶を聞いた時、俺よりも確かな伝手《つて》があると思つて、先づ不快を催した。自分が唯《たつた》十五円なのに、長野の服装の自分より立派なのは、若しや俺より高く雇つたのぢやないかと云ふ疑ひを惹起《ひきおこ》したが、それは翌日になつて十三円だと知れて安堵した。が、三日目から今迄野村の分担だつた商況の材料取《たねとり》と警察廻りは長野に歩かせる事になつた。竹山は、「一日《いちんち》も早く新聞の仕事に慣れる様に、」と云つて、自分より二倍も身体の大きい長野を、手酷しく小言を云つては毎日々々|使役《こきつか》ふ。校正係なら校正だけで沢山だと野村は思つた。加之《のみならず》、渠は恁※[#「麾」の「毛」に代えて「公の右上の欠けたもの」、第4水準2−94−57]《こんな》釧路の様な狭い所では、外交は上島と自分と二人で充分だと考へて居た。時々何も材料が無かつたと云つて、遠い所は廻らずに来る癖に。
 浮世の戦ひに疲れて、一刻と雖ども安心と云ふ気持を抱いた事の無い野村は、適切《てつきり》長野を入れたのは自分を退社させる準備だと推諒した。と云ふのは、自分が時々善からぬ事をしてゐるのを、渠自身さへ稀《たま》には思返して浅間しいと思つて居たので。
 
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