、或時宿の女中の十二位なのに催眠術を施《か》けて、自分の室に閉鎖《とぢこ》めて、半時間許りも何か小聲で頻りに訊ねて居た事があつた。隣室の人の洩れ聞いたんでは、何でも其財産問題に關した事であつたさうな。渠は平生、催眠術によつて過去の事は勿論、未來の事も豫言させる事が出來ると云つて居た。
 竹山の親しく見た野村良吉は、大略前述の樣のものであつたが、渠は同宿の人の間に頗る不信用であつた。野村は女學生を蕩《たら》して弄んで、おまけに金を捲上げて居るとか、牧師の細君と怪しい關係を結んでるさうだとか、好からぬ噂のみ多い中に、お定と云つて豐橋在から來た、些と美しい女中が時々渠の室に泊るという事と、宿の主婦――三十二三で、細面の、眼の表情《しほ》の滿干《さしひき》の烈しい、甚※[#「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2−94−57]《どんな》急がしい日でも髮をテカテカさして居る主婦《おかみ》と、餘程前から通じて居るといふ事は、人々の間に殆んど確信されて居た。それから、其お定といふのが、或朝竹山の室の掃除に來て居て、二つ三つ戲談を云つてから、恁※[#「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2−94−57]《こんな》話をした事があつた。
『野村さんて、餘程面白い方ねえ。』
『怎《どう》して?』
『怎《どう》してツて、ホホヽヽヽヽ。』
『可笑《をか》しい事があるんか?』
『あのね、……駿河臺に居る頃は隨分だつたわ。』
『何が?』
『何がツて、時々淫賣なんか伴れ込んで泊めたのよ。』
『其※[#「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2−94−57]《そんな》事をしたのか、野村君は?』
『默つてらつしやいよ、貴方《あなた》。』と云つたが、『だけど、云つちや惡いわね。』
『マア云つて見るさ。口出しをして止すツて事があるもんか。』
『何時《いつ》だつたか、あの方が九時頃に醉拂つて歸つたのよ、お竹さんて人伴れて。え、其人は其時初めてよ。それも可いけど、突然《いきなり》、一緒に居た政男さん(從弟)に怒鳴りつけるんですもの、政男さんだつて怒《おこ》りますわねえ。恰度空いた室があつたから、其晩だけ政男さんは其方へお寢《やす》みになつたんですけど、朝になつたら面白いのよ。』
『馬鹿な、怎したい?』
『野村さんがお金を出したら、要《い》らないつて云ふんですつて、其お竹さんと
前へ 次へ
全39ページ中12ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
石川 啄木 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング