し、怪むべきでないかも知れぬ、自然の大なる聲に呑まれてゆく人の聲の果敢なさを思へば。
 浪打際に三人の男が居る。男共の背後《うしろ》には、腐れた象の皮を被つた樣な、傾斜の緩い砂山が、恰も「俺が生きて居るか、死んで居るか、誰も知るまい、俺も知らぬ。」と云ふ樣に、唯無感覺に横《よこた》はつて居る。無感覺に投げ出した砂山の足を、浪は白齒をむいて撓《たゆ》まず噛んで居る。幾何《いくら》噛まれても、砂山は痛いとも云はぬ、動きもせぬ。痛いとも云はず、動きもせぬが、浪は矢張根氣よく撓まず噛んで懸る。太初から「生命」を知らぬ砂山と、無窮に醒めて眠らぬ潮騷の海との間に、三人の――生れたり死んだりする三人の男が居る。インバネスを着て、薄鼠色の中折を左の手に持つて、螽《いなご》の如く蹲《しやが》んで居る男と、大分埃を吸つた古洋服の鈕を皆|脱《はづ》して、蟇の如く胡坐《あぐら》をかいた男とは、少し間を隔てて、共に海に向つて居る。揉《もみ》くちやになつた大島染の袷を着た、モ一人の男は、兩手を枕に、足は海の方へ投げ出して、不作法にも二人の中央《まんなか》に仰向になつて臥《ね》て居る。
 千里萬里の沖から吹いて來て
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