、
弱い心を何度も叱《しか》り、
金かりに行く。
待てど待てど、
来る筈《はず》の人の来ぬ日なりき、
机の位置を此処《ここ》に変へしは。
古新聞!
おやここにおれの歌の事を賞《ほ》めて書いてあり、
二三行《ぎやう》なれど。
引越しの朝の足もとに落ちてゐぬ、
女の写真!
忘れゐし写真!
その頃は気もつかざりし
仮名《かな》ちがひの多きことかな、
昔の恋文《こひぶみ》!
八年前《はちねんぜん》の
今のわが妻の手紙の束《たば》!
何処《どこ》の蔵《しま》ひしかと気にかかるかな。
眠られぬ癖《くせ》のかなしさよ!
すこしでも
眠気《ねむけ》がさせば、うろたへて寝る。
笑ふにも笑はれざりき――
長いこと捜《さが》したナイフの
手の中《うち》にありしに。
この四五年、
空を仰《あふ》ぐといふことが一度もなかりき。
かうもなるものか?
原稿紙にでなくては
字を書かぬものと、
かたく信ずる我が児《こ》のあどけなさ!
どうかかうか、今月も無事《ぶじ》に暮らしたりと、
外《ほか》に欲もなき
晦日《みそか》の晩かな。
あの頃はよく嘘《うそ》を言ひき。
平気にてよく嘘を言ひき。
汗が出《い》づるかな。
古手紙よ!
あの男とも、五年前は、
かほど親しく交《まじ》はりしかな。
名は何《なん》と言ひけむ。
姓は鈴木なりき。
今はどうして何処《どこ》にゐるらむ。
生れたといふ葉書《はがき》みて、
ひとしきり、
顔をはれやかにしてゐたるかな。
そうれみろ、
あの人も子をこしらへたと、
何か気の済《す》む心地《ここち》にて寝る。
『石川はふびんな奴《やつ》だ。』
ときにかう自分で言ひて、
かなしみてみる。
ドア推《お》してひと足《あし》出《で》れば、
病人の目にはてもなき
長廊下《らうか》かな。
重い荷を下《おろ》したやうな、
気持なりき、
この寝台《ねだい》の上に来《き》ていねしとき。
そんならば生命《いのち》が欲しくないのかと、
医者に言はれて、
だまりし心!
真夜中にふと目がさめて、
わけもなく泣きたくなりて、
蒲団《ふとん》をかぶれる。
話しかけて返事のなきに
よく見れば、
泣いてゐたりき、隣の患者《くわんじや》。
病室の窓にもたれて、
久しぶりに巡査を見たりと、
よろこべるかな。
晴れし日のかなしみの一つ!
病室の窓にもたれて
煙草《たばこ》を味
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