者の顔色をぢっと見し外《ほか》に
何も見ざりき――
 胸の痛み募《つの》る日。

 病《や》みてあれば心も弱るらむ!
さまざまの
泣きたきことが胸にあつまる。

寝つつ読む本の重さに
 つかれたる
手を休めては、物を思へり。

今日はなぜが、
 二度も、三度も、
 金側《きんかわ》の時計を一つ欲しと思へり。

いつか是非《ぜひ》、出《だ》さんと思ふ本のこと、
表紙のことなど、
 妻に語れる。

胸いたみ、
春の霙《みぞれ》の降る日なり。
 薬に噎《む》せて、伏《ふ》して眼をとづ。

あたらしきサラドの色の
 うれしさに、
箸《はし》をとりあげて見は見つれども――

子を叱《しか》る、あはれ、この心よ。
 熱高き日の癖《くせ》とのみ
 妻よ、思ふな。

運命の来て乗れるかと
 うたがひぬ――
蒲団《ふとん》の重き夜半《よは》の寝覚《ねざ》めに。

たへがたき渇《かわ》き覚《おぼ》ゆれど、
 手をのべて
 林檎《りんご》とるだにものうき日かな。

氷嚢のとけて温《ぬく》めば、
おのづから目がさめ来《きた》り、
 からだ痛める

いま、夢に閑古鳥《かんこどり》を聞けり。
 閑古鳥を忘れざりしが
 かなしくあるがな。

ふるさとを出《い》でて五年《いつとせ》、
 病《やまひ》をえて、
かの閑古鳥を夢にきけるかな。

閑古鳥――
 渋民村《しぶたみむら》の山荘《さんさう》をめぐる林の
 あかつきなつかし。

ふるさとの寺の畔《ほとり》の
 ひばの木の
いただきに来て啼《な》きし閑古鳥!

脈をとる手のふるひこそ
かなしけれ――
 医者に叱られし若き看護婦!

いつとなく記憶《きおく》に残りぬ――
Fといふ看護婦の手の
 つめたさなども。

はづれまで一度ゆきたしと
 思ひゐし
かの病院の長廊下かな。

起きてみて、
また直《す》ぐ寝たくなる時の
 力なき眼に愛《め》でしチュリップ!

堅《かた》く握《にぎ》るだけの力も無くなりし
やせし我が手の
 いとほしさかな。

わが病《やまひ》の
 その因《よ》るところ深く且《か》つ遠きを思ふ。
 目をとぢて思ふ。

かなしくも、
 病《やまひ》いゆるを願はざる心我に在《あ》り。
何《なん》の心ぞ。

新しきからだを欲しと思ひけり、
 手術の傷《きず》の
 痕《あと》を撫《な》でつつ。

薬のむことを忘るるを、
 それとなく、
たのしみ
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