つた。それが乃《すなは》ち源助さんであつた。
 源助さんには、お内儀《かみ》さんもあれば子息《こども》もあるといふ事であつたが、来たのは自分一人。愈々《いよいよ》開業となつてからは、其店《そこ》の大きい姿見が、村中の子供等の好奇心を刺戟したもので、お定もよく同年輩《おないどし》の遊び仲間と一緒に行つて、見た事もない白い瀬戸の把手《とつて》を上に捻《ねぢ》り下に捻り、辛《やつ》と少許《すこし》入口の扉《と》を開けては、種々《いろん》な道具の整然《きちん》と列べられた室《へや》の中を覗いたものだ。少許《すこし》開けた扉が、誰の力ともなく、何時の間にか身体の通るだけ開くと、田舎の子供といふものは因循なもので、盗みでもする様に怖《おつか》な怯《びつく》り、二寸三寸と物も言はず中に入つて行つて、交代《かはるがはる》に其姿見を覗く。訝《をかし》な事には、少許《すこし》離れて写すと、顔が長くなつたり、扁《ひらた》くなつたり、目も鼻も歪んで見えるのであつたが、お定は幼心に、これは鏡が余り大き過ぎるからだと考へてゐたものだ。
 月に三度の一の日を除いては、(此日には源助さんが白井様へ上つて、お家中《うち
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