山田理髪店」と書いてあつて、花の様なお菓子を飾つたお菓子屋と向ひあつてゐる。二人は右視左視《とみかうみ》して、此家忘れてはなるものかと見廻してると、理髪店《とこや》の店からは四人の職人が皆二人の方を見て笑つてゐた。二人は交代《かはるがはる》に振返つては、もう何間歩いたか胸で計算《かんじやう》しながら、二町許りで本郷館の前まで来た。
 盛岡の肴町位だとお定の思つた菊坂町は、此処へ来て見ると宛然《まるで》田舎の様だ。あゝ東京の街! 右から左から、刻一刻に満干《さしひき》する人の潮《うしほ》! 三方から電車と人とが崩《なだ》れて来る三丁目の喧囂《けんかう》は、宛《さな》がら今にも戦が始りさうだ。お定はもう一歩も前に進みかねた。
 勧工場は、小さいながらも盛岡にもある。お八重は本郷館に入つて見ないかと言出したが、お定は『此次にすべす。』と言つて渋つた。で、お八重は決しかねて立つてゐると、車夫《くるまや》が寄つて来て、頻《しき》りに促す。二人は怖ろしくなつて、もと来た路を駆け出した。此時も背後《うしろ》に笑声が聞えた。
 第一日は恁《か》くて暮れた。

     九

 第二日目《ふつかめ》は、お吉に伴れられて、朝八時頃から見物に出た。
 先づ赤門、『恁※[#「麾」の「毛」に代えて「公の右上の欠けたもの」、第4水準2−94−57]《こんたな》学校にも教師《せんせ》ア居《え》べすか?』とお定は囁やいたが、『居《え》るのす。』と答へたお八重はツンと済してゐた。不忍の池では海の様だと思つた。お定の村には山と川と田と畑としか無かつたので。さて上野の森、話に聞いた銅像よりも、木立の中の大仏の方が立派に見えた。電車といふものに初めて乗せられて、浅草は人の塵溜《ちりため》、玉乗に汗を握り、水族館の地下室では、源助の話を思出して帯の間の財布《かみいれ》を上から抑へた。人の数が掏摸《すり》に見える。凌雲閣には余り高いのに怖気《おぢけ》立つて、遂々《たうたう》上らず。吾妻橋に出ては、東京では川まで大きいと思つた。両国の川開きの話をお吉に聞かされたが、甚※[#「麾」の「毛」に代えて「公の右上の欠けたもの」、第4水準2−94−57]《どんな》事をするものやら遂に解らず了ひ。上潮に末広の長い尾を曳く川蒸汽は、仲々異なものであつた。銀座の通り、新橋のステイシヨン、勧工場《くわんこうば》にも幾度《いくたび
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