しかつた位で、遂十日許り前、朝草刈の帰りに、背負うた千草の中に、桔梗や女郎花《をみなへし》が交つてゐたのを、村端《むらはづれ》で散歩してゐた藤田に二三本呉れぬかと言はれた、その時初めて言葉を交したに過ぎぬ。その翌朝からは、毎朝咲残りの秋の花を一束宛、別に手に持つて来るけれども、藤田に逢ふ機会がなかつた。あの先生さへ優しくして呉れたら、何も私は東京などへ行きもしないのに、と考へても見たが、又、今の身分ぢや兎ても先生のお細君《かみ》さんなどに成れぬから、矢張三年行つて来るが第一だとも考へる。
四晩に一度は屹度忍んで寝に来る丑之助――兼大工《かねだいく》の弟子で、男振りもよく、年こそまだ二十三だが、若者《わかいもの》中で一番幅の利く――の事も、無論考へられた。恁《かか》る田舎の習慣《ならはし》で、若い男は、忍んで行く女の数の多いのを誇りにし、娘共も亦、口に出していふ事は無いけれ共、通つて来る男の多きを喜ぶ。さればお定は、丑之助がお八重を初め三人も四人も情婦《をんな》を持つてる事は熟《よ》く知つてゐるので、或晩の如きは、男自身の口から其情婦共の名を言はして擽《くすぐ》つて遣つた位。二人の間は別に思合つた訳でなく、末の約束など真面目にした事も無いが、怎かして寝つかれぬ夜などは、今頃丑さんが誰と寝てゐるかと、嫉《や》いて見た事のないでもない。私とお八重さんが居なくなつたら、丑さんは屹度お作の所に許りゆくだらうと考へると、何かしら妬ましい様な気もした。
胸に浮ぶ思の数々は、それからそれと果しも無い。お定は幾度《いくたび》か一人で泣き、幾度か一人で微笑《ほほゑ》んだ。そして、遂《つい》うと/\となりかゝつた時、勝手の方に寝てゐる末の弟が、何やら声高に寝言を言つたので、はツと眼が覚め、嗚呼あの弟は淋しがるだらうなと考へて、睡気《ねむけ》交りに涙ぐんだが、少女《をとめ》心の他愛なさに、二人の弟が貰ふべき嫁を、誰彼となく心で選んでるうちに、何時しか眠つて了つた。
四
目を覚ますと、弟のお清書を横に逆《さかし》まに貼つた、枕の上の煤けた櫺子《れんじ》が、僅かに水の如く仄めいてゐた。誰もまだ起きてゐない。遠近《をちこち》で二番鶏が勇ましく時をつくる。けたたましい羽搏きの音がする。
お定はすぐ起きて、寝室《ねま》にしてゐる四畳半許りの板敷を出た。手探りに草裏を突かけて、表
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