ふ事は口に出さなかつた。左《さ》う右《か》うしてるうちに、階下《した》では源助が大きな※[#「※」は「口+愛」、第3水準1−15−23]《あくび》をする聲がして、軈てお吉が何か言ふ。五分許り過ぎて誰やら起きた樣な氣色《けはひ》がしたので、二人も立つて帶を締めた。で、蒲團を疊まうとしてが、お八重は、
『お定さん、昨晩《ゆべな》持つて來た時、此蒲團どア表《おもで》出して疊まさつてらけすか、裏出して疊まさつてらけすか?』と言ひ出した。
『さあ、何方《どつら》だたべす。』
『何方だたべな。』
『困つたなア。』
『困つたなす。』と、二人は暫時《しばらく》、呆然《ぼんやり》立つて目を見合せてゐたが、
『表なやうだつけな。』とお八重。
『表だつたべすか。』
『そだつけ。』
『そだたべすか。』
 軈て二人は蒲團を疊んで、室の隅に積み重ねたが、恁※[#「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2−94−57]《こんな》に早く階下《した》に行つて可いものか怎《どう》か解らぬ。怎しよと相談した結果、兎も角も少し待つて見る事にして、室の中央《まんなか》に立つた儘|四邊《あたり》を見※[#「えんにょう+囘」、第4水準2−12−11]した。
『お定さん、細え柱だなす。』と大工の娘。奈何樣《いかさま》、太い材木を不體裁に組立てた南部の田舍の家に育つた者の目には、東京の家は地震でも搖れたら危い位、柱でも鴨居でも細く見える。
『眞《ほん》にせえ。』とお定も言つた。
 で、昨晩《ゆうべ》見た階下の樣子を思出して見ても、此室の疊の古い事、壁紙の所々裂けた事、天井が手の屆く程低い事などを考へ合せて見ても、源助の家は、二人及び村の大抵の人の想像した如く、左程立派でなかつた。二人はまた其事を語つてゐたが、お八重が不圖、五尺の床の間にかけてある。縁日物の七福神の掛物を指さして、
『あれア何だか知《おべ》だ[#「だ」は底本では「た」]すか?』
『惠比須大黒だべす。』
 二人は床の間に腰掛けたが、
『お定さん、これア何だす?』と圖の人を指さす。
『槌持つてるもの、大黒樣だべアすか。』
『此方ア?』
『惠比須だす。』
『すたら、これア何だす?』
『布袋樣《ほていさま》す、腹ア出てるもの。あれ、忠太|老爺《おやぢ》に似たぜ。』と言ふや、二人は其忠太の恐ろしく肥つた腹を思出して、口に袂をあてた儘、暫しは子供の如く笑ひ續けてゐた。
 階下《した》では裏口の戸を開ける音や、鍋の音がしたので、お八重が先に立つて階段を降りた。お吉はそれと見て、
『まあ早いことお前さん達は、まだ/\寢《やす》んでらつしやれば可いのに。』と笑顏を作つた。二人は勝手への隔《へだて》の敷居に兩手を突いて、『お早エなつす。』を口の中だけに言つて、挨拶をすると、お吉は可笑しさに些《ちよつ》[#ルビの「ちよつ」は底本では「ちよ」]と横向いて笑つたが、
『怎もお早う。』と晴やかに言ふ。
 よく眠れたかとか、郷里《くに》の夢を見なかつたかとか、お吉は昨晩《ゆうべ》よりもズット忸《なれ》々しく種々《いろ/\》な事を言つてくれたが、
『お前さん達のお郷里《くに》ぢや水道はまだ無いでせう?』
 二人は目を見合せた。水道とは何の事やら、其話は源助からも聞いた記憶《おぼえ》がない。何と返事をして可《い》いか困つてると、
『何でも一通り東京の事知つてなくちや、御奉公に上つても困るから、私と一緒に入來《いらつ》しやい。教へて上げますから。』と、お吉は手桶を持つて下り立つた。『ハ。』と答へて、二人とも急いで店から自分達の下駄を持つて來て、裏に出ると、お吉はもう五六間|先方《むかう》へ行つて立つてゐる。
 何の事はない、郵便凾の小さい樣なものが立つてゐて、四邊《あたり》の土が水に濡れてゐる。
『これが水道ツて言ふんですよ。可《よ》ござんすか。それで恁うすると水が幾何《いくら》でも出て來ます。』とお吉は笑ひながら栓《せん》を捻《ひね》つた。途端《とたん》に、水がゴウと出る。
『やあ。』とお八重は思はず驚きの聲を出したので、すぐに羞《はづ》かしくなつて、顏を火の樣にした。お定も口にこそ出さなかつたが、同じ『やあ。』が喉元まで出かけたつたので、これも顏を紅くしたが、お吉は其中に一杯になつた桶と空《から》なのと取代へて、
『さあ、何方なり一つ此栓を捻《ひね》つて御覽なさい。』と宛然《さながら》小學校の先生が一年生に教へる樣な調子。二人は目と目で互に讓り合つて、仲々手を出さぬので、
『些《ちつ》とも怖い事はないんですよ。』とお吉は笑ふ。で、お八重が思切つて、妙な手つきで栓を力委せに捻ると、特別な仕掛がある譯ではないから水が直ぐ出た。お八重は何となく得意になつて、輕く聲を出して笑ひながらお定の顏を見た。
 歸りはお吉の辭するも諾《き》かず、二人で桶を一つ宛《づゝ》輕々と持つて勝手口まで運んだが、背後《うしろ》からお吉が、
『まあお前さん達は力が強い事!』と笑つた。此の後に潜んだ意味などを察する程に、怜悧《かしこ》いお定ではないので、何だか賞められた樣な氣がして、密《そつ》と口元に笑を含んだ。
 それから、顏を洗へといはれて、急いで二階から淺黄の手拭やら櫛やらを持つて來たが、鏡は店に大きいのがあるからといはれて、怖る/\種々《いろ/\》の光る立派な道具を飾り立てた店に行つて、二人は髮を結ひ出した。間もなく、表二階に泊つてる職人が起きて來て、二人を見ると、『お早う。』と聲をかけて妙な笑を浮べたが、二人は唯もうきまりが惡くて、顏を赤くして頭を垂れてゐる儘、鏡に寫る己が姿を見るさへも羞しく、堅くなつて※[#「勹<夕」、第3水準1−14−76]卒《そゝくさ》に髮を結つてゐたが、それでもお八重の方はチョイチョイ横目を使つて、職人の爲る事を見てゐた樣であつた。
 すべて恁※[#「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2−94−57]《こんな》具合で、朝餐《あさめし》も濟んだ。其朝餐の時は、同じ食卓に源助夫婦と新さんとお八重お定の五人が向ひ合つたので、二人共三膳とは食へなかつた。此日は、源助が半月に餘る旅から歸つたので、それ/″\手土産を持つて知邊《しるべ》の家を※[#「えんにょう+囘」、第4水準2−12−11]らなければならぬから、お吉は家が明けられぬと言つて、見物は明日に決つた。
 二人は、不器用な手つきで、食後の始末にも手傳ひ、二人|限《きり》で水汲にも行つたが、其時お八重はもう、一度經驗があるので上級生の樣な態度をして、
『流石は東京だでヤなつす!』と言つた。
 かくて此日一日は、殆んど裏二階の一室で暮らしたが、お吉は時々やつて來て、何呉となく女中奉公の心得を話してくれるのであつた。お定は生中《なまなか》禮儀などを守らず、つけつけ言つてくれる此女を、もう世の中に唯一人の頼りにして、嘗て自分等の村の役場に、盛岡から來てゐた事のある助役樣の内儀《おかみ》さんより親切な人だと考へてゐた。
 お吉が二人に物言ふさまは、若し傍で見てゐる人があつたなら、甚※[#「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2−94−57]《どんな》に可笑《をか》しかつたか知れぬ。言葉を早く直さねばならぬと言つては、先づ短いのから稽古せよと、『かしこまりました。』とか『行つてらツしやい。』とか、『お歸んなさい。』とか『左樣《さい》でございますか。』とか、繰返し/\教へるのであつたが、二人は胸の中でそれを擬《ま》ねて見るけれど、仲々お吉の樣にはいかぬ。郷里《くに》言葉の『然《そ》だすか。』と『左樣《さい》でございますか。』とは、第一長さが違ふ。二人には『で』に許り力が入つて、兎角『さいで、ございますか。』と二つに切れる。『さあ、一《ひと》つ口《くち》に出して行《や》つて御覽なさいな。』とお吉に言はれると、二人共すぐ顏を染めては、『さあ』『さあ』と互ひに讓り合ふ。
 それからお吉は、また二人が餘り温《おと》なしくして許りゐるので、店に行つて見るなり、少し街上《おもて》を歩いてみるなりしたら怎《どう》だと言つて、
『家の前から昨晩《ゆうべ》腕車《くるま》で來た方へ少し行くと、本郷の通りへ出ますから、それは/\賑かなもんですよ。其處の角には勸工場と云つて何品《なん》でも賣る所があるし、右へ行くと三丁目の電車、左へ行くと赤門の前――赤門といへば大學の事ですよ、それ、日本一の學校、名前位は聞いた事があるでせうさ。何《なあ》に、大丈夫氣をつけてさへ歩けば、何處まで行つたつて迷兒《まひご》になんかなりやしませんよ。角の勸工場と家の看板さへ知つてりや。』と言つたが、『それ、家の看板には恁う書いてあつたでせう。』と人差指で疊に『山田』と覺束なく書いて見せた。『やまだ[#「やまだ」に傍点]と讀むんですよ。』
 二人は稍得意な笑顏をして頷き合つた。何故なれば、二人共尋常科だけは卒へたのだから、山の字も田の字も知つてゐたからなので。
 それでも仲々|階下《した》にさへ降《お》り澁《しぶ》つて、二人限《きり》になれば何やら密々《ひそ/\》話合つては、袂を口にあてて聲立てずに笑つてゐたが、夕方近くなつてから、お八重の發起で街路へ出て見た。成程大きなペンキ塗の看板には『山田理髮店』と書いてあつて、花の樣なお菓子を飾つたお菓子屋と向ひあつてゐる。二人は右視左視《とみかうみ》して、此家忘れてなるものかと見※[#「えんにょう+囘」、第4水準2−12−11]してると、理髮店の店からは四人の職人が皆二人の方を見て笑つてゐた。二人は交る/\に振返つては、もう何間歩いたか胸で計算しながら、二町許りで本郷館の前まで來た。
 盛岡の肴町位だとお定の思つた菊坂町は、此處へ來て見ると宛然《まるで》田舍の樣だ。ああ東京の街! 右から左から、刻一刻に滿干《さしひき》する人の潮! 三方から電車と人が崩《なだ》れて來る三丁目の喧囂《さはがしさ》は、宛《さな》がら今にも戰が始りさうだ。お定はもう一歩も前に進みかねた。
 勸工場は、小さいながらも盛岡にもある。お八重は本郷館に入つて見ないかと言出したが、お定は『此次にすべす。』と言つて澁つた。で、お八重は決しかねて立つてゐると、車夫が寄つて來て、頻りに促す。二人は怖ろしくなつて、もと來た路を驅け出した。此時も背後《うしろ》に笑聲《わらひごゑ》が聞えた。
 第一日は斯くて暮れた。

      九 

 第二日目は、お吉に伴れられて、朝八時頃から見物に出た。
 先づ赤門、『恁※[#「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2−94−57]《こんな》學校にも教師《せんせ》ア居《え》べすか?』とお定は囁《さゝ》やいたが、『居るのす。』と答へたお八重はツンと濟してゐた。不忍の池では海の樣だと思つた。お定の村には山と川と田と畑としか無かつたので。さて上野の森、話に聞いた銅像よりも、木立の中の大佛の方が立派に見えた。電車といふものに初めて乘せられて、淺草は人の塵溜、玉乘に汗を握り、水族館の地下室では、源助の話を思出して帶の間の財布を上から抑へた。人の數が掏摸に見える。凌雲閣には餘り高いのに怖氣《おぢけ》立つて、到頭上らず。吾妻橋に出ては、東京では川まで大きいと思つた。兩國の川開きの話をお吉に聞かされたが、甚※[#「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2−94−57]《どんな》事《こと》をするものやら遂に解らず了《じま》ひ。上潮に末廣の長い尾を曳く川蒸汽は、仲々異《い》なものであつた。銀座の通り、新橋のステイション、勸工場にも幾度か入つた。二重橋は天子樣の御門と聞いて叩頭《おじぎ》をした。日比谷の公園では、立派な若い男と女が手をとり合つて歩いてるのに驚いた。
 須田町の乘換に方角を忘れて、今來た方へ引返すのだと許り思つてゐるうちに、本郷三丁目に來て降りるのだといふ。お定はもう日が暮れかかつてるのに、まだ引張り※[#「えんにょう+囘」、第4水準2−12−11]されるのかと氣が氣でなくなつたが、一町と歩かずに本郷館の横へ曲つた時には、東京の道路は訝《をか》しいもの
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