村に舞込んだ。それが又、それ相應に一々文句が違つてると云ふので、人々は今更の樣に事々しく、渠の萬事に才が※[#「えんにょう+囘」、第4水準2−12−11]つて、器用であつた事を語り合つた。其後も、月に一度、三月に二度と、一年半程の間は、誰へとも限らず、源助の音信があつたものだ。
理髮店《とこや》の店は、其頃兎や角一人前になつたノロ勘が讓られたので、唯一軒しか無い僥倖《しあはせ》には、其間が抜けた無駄口に華客《おきやく》を減らす事もなく、かの凸凹の大きな姿見が、今猶人の顏を長く見せたり、扁《ひらた》く見せたりしてゐる。
其源助さんが四年振で、突然|遣《や》つて來たといふのだから、もう殆ど忘れて了つてゐた村の人達が、男といはず女といはず、腰の曲つた老人や子供等まで、異樣に驚いて目を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》つたのも無理はない。
二
それは盆が過ぎて二十日と經《た》たぬ頃の事であつた。午中《ひるなか》三時間許りの間は、夏の最中にも劣らぬ暑氣で、澄みきつた空からは習《そよ》との風も吹いて來ず、素足の娘共は、日に燒けた礫の熱いのを避けて、軒下の土の濕
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