あつた。
村の学校は、其頃まだ見窄《みすぼ》らしい尋常科の単級で、外に補習科の生徒が六七人、先生も高島先生一人|限《き》りだつたので、教場も唯一つ。級は違つてゐても、鈴の様な好い声で藤野さんが読本を読む時は、百何人が皆石筆や筆を休ませて、其方許り見たものだ。殊に私は、習字と算術の時間が厭で/\耐《たま》らぬ所から、よく呆然《ぼんやり》して藤野さんの方を見てゐたもので、其度先生は竹の鞭で私の頭を軽く叩いたものである。
藤野さんは、何学科でも成績が可かつた。何日であつたか、二年生の女生徒共が、何か授業中に悪戯《いたづら》をしたといつて、先生は藤野さんを例に引いて誡められた事もあつた様だ。上級の生徒は、少しそれに不服であつた。然し私は何も怪まなかつた。何故なれば、藤野さんは其頃、学校中で、村中で、否、当時の私にとつての全世界で、一番美しい、善い人であつたのだから。
其年の三月三十日は、例年の如く証書授与式、近江屋の旦那様を初め、村長様もお医者様も、其他村の人達が五六人学校に来られた。私も、秘蔵の袖の長い衣服《きもの》を着せられ、半幅の白木綿を兵児帯《へこおび》にして、皆と一緒に行つたが
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