しく貴方《あんた》と一緒に先に来れば可かつた。』へとへとに疲れたやうな目賀田の声がした。
『いやもう、狐なら可いが、雀部さんに魅《つま》まれてさ。』
『それはもう言ひつこなし。降参だ、降参だ。』と雀部がいふ。
 其の内に三人とも橋の上に来た。
『ああ疲れた。』校長は欄干に片足を載せて腰かけた。『矢沢さん、どうも済みませんでした。』
『いいえ。何うなすつたのかと思つて。』
『真個に済みませんでしたなあ。』と雀部は言つた。『多分もう学校へ帰つてオルガンでも弾いてらつしやるかと思つた。』
『今井さん、まあ聞いて下さい。』目賀田老人は腰を延ばしながら訴へるやうな声を出した。『………彼処《あすこ》で、止せば可いのに可加減《いいかげん》飲んでね。雀部さん達はまだ俺《わし》より若いから可いが、俺はこれ此の通りさ。そしたら雀部さんが、近路があるから其方を行つて、貴方方に追付かうぢやないかと言ふんだものな。賛成したのは俺も悪いが、それはそれは酷い坂でね。剰《おまけ》に辛《やつ》と此の川下へ出たら、何うだえ貴方《あんた》、此間《こなひだ》の洪水《みづまし》に流れたと見えて橋が無いといふ騒ぎぢやないか。それからまた半里《はんみち》も斯うして上つて来た。いやもう、これからもう雀部さんと一緒には歩かない。』
『ははは。』と多吉は笑つた。
『然しまあ可かつた。彼処に橋が有つたら、危くお二人を此処に置去りにするところでしたよ。』
『私はもう黙つてる。何うも四方八方へ私が済まない事になつた。』と雀部は笑ひながら頭を掻いた。
『ところで、何方《どなた》か紙を持つてませんかな? 俺は今まで耐《こら》へて来たが………一寸皆さんに待つて貰つて。』
 紙は松子の袂から出た。
『少し臭いかも知れないから、も少し先へ行つて休んでて下さい。今井さん、これ頼みます。』
 さう言つて目賀田は蝙蝠傘《かうもりがさ》を多吉に渡し、痛い物でも踏むやうな腰付をして、二三間離れた橋の袂の藪陰に蹲《つくば》つた。禿げた頭だけが薄《うつ》すりと見えた。
『置去りにしますよ、目賀田さん。』
 さう雀部は揶揄《からか》つた。然し返事はなかつた。
 四人は橋を渡つた。そして五六間来ると其処等の山から切出す花崗石《みかげいし》の石材が路傍に五つ六つ転《ころが》してあつた。四人はそれぞれ其上に腰掛けた。
『ああ疲れた。』
 校長はまた言つた
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