は長い不規則な列を作つた。最先《まつさき》に沼田が行く。次は富江、次は慎次、次は校長……森川山内と続いて、山内と智恵子の間は少し途断れた。智恵子のすぐ背後《うしろ》を、背《たけ》高い信吾が歩いた。
智恵子は甘い悲哀《かなしみ》を感じた。若い心はウツトリとして、何か恁《か》う、自分の知らなんだ境を見て帰る様な気持である。詰らなく騒いだ! とも思へる。楽しかつた! とも思へる。そして、心の底の何処かでは、富江の阿婆摺れた噪《はしや》ぎ方が、不愉快で不愉快でならなかつた。そして、何といふ訳もなしに直ぐ背後《うしろ》から跟《つ》いて来る信吾の跫音が、心にとまつてゐた。
其姿は、何処か、夢を見てゐる人の様に悄然《しよんぼり》とした髪も乱れた。
先づ平生の心に帰つたのは富江であつた。
『ね、沼田さん。那時《あのとき》ソラ、貴君の前に「むべ山」があつたでせう? 那《あれ》が私の十八番《おはこ》ですの。屹度抜いて上げませうと思つて待つてると、信吾さんに札が無くなつて、貴君《あなた》が「むべ山」と「流れもあへぬ」を信吾さんへ遣《やつ》たでせう? 私厭になつ了《ちま》ひましたよ。ホホヽヽ。』と、先刻《さつき》の事を喋り出した。『ハハヽヽ。』と四五人一度に笑ふ。
『森川さんの憎いツたらありやしない。那※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《あんな》に乱暴しなくたつて可《いい》のに、到頭「声きく時」を裂いツ了《ちま》つた。……』
と、富江は気に乗つて語り亜《つ》ぐ。
信吾は、間隔《あひだ》が隔つてゐる為か、何も言はなかつた。笑ひもしなかつた。其心は眼前《めのまへ》の智恵子を追うてゐた。そして、其《その》後《うしろ》の清子の心は信吾を追うてゐた。其《その》又《また》後《うしろ》の静子の心は清子を追うてゐた。そして、四人共に何も言はずに足を運んだ。
路が下田路に合つて稍広くなつた。前の方の四五人は、甲高い富江の笑声を囲んで一団《ひとかたまり》になつた。町帰りの酔漢《よひどれ》が、何やら呟き乍ら蹣跚《よろよろ》とした歩調《あしどり》で行き過ぎた。
と、信吾は智恵子と相並んだ。
『奈何《どう》です、此静かな夜の感想《かんじ》は?』
『真箇《ほんと》に静かで御座いますねえ。』と、少し間を置いて智恵子は答へる。
『貴女は何でせう、加留多なんか余りお好きぢやないでせう?』
『でもないんで御座いますけれど……然し今夜は、真箇《ほんと》に楽う御座いました。』と遠慮勝に男を仰いだ。
『ハハヽヽ。』と笑つて信吾は杖《ステツキ》の尖《さき》でコツ/\石を叩き乍ら歩いたが、
『何ですね。貴女は基督教信者《クリスチヤン》で?』
『ハ。』と低い声で答へる。
『何か其方の本を、貸して下《くださ》いませんか? 今迄遂宗教の事は、調べて見る機会も時間もなかつたんですが、此夏は少し遣つて見ようかと思ふンです。幸ひ貴女の御意見も聞かれるし……。』
『御覧になる様な本なんぞ……アノ、私こそ此夏は、静子さんにでもお願して頂いて、何か拝借して勉強したいと思ひまして……。』
『否《いや》、別に面白い本も持つて来ないんですが、御覧になるなら何時でも……。すると何ですか、此夏は何処にも被行《いらつしや》らないんですか?』
『え。先《ま》ア其積りで……。』
路は小い杜《もり》に入つて、月光《つきかげ》を遮《さへぎ》つた青葉が風もなく、四辺《あたり》を香《にほ》はした。
(四)の八
仄暗い杜を出ると、北上川の水音が俄かに近くなつた。
『貴女《あなた》は小説はお嫌ひですか?』と、信吾は少し突然《だしぬけ》に問うた。其の時はモウ肩も摩《す》れ/\に並んでゐた。
『一概には申されませんけれど、嫌ひぢや御座いません。』
と落着いた答へをして閃《ちら》と男の横顔を仰いだが、智恵子の心には妙に落着がなかつた。前方《まへ》の人達からは何時しか七八間も遅れた。背後《うしろ》からは清子と静子が来る。其跫足も怎《どう》やら少し遠ざかつた。そして自分が信吾と並んで話し乍ら歩く……何となき不安が胸に萌《きざ》してゐた。
立留つて後の二人を待たうかと、一歩毎《ひとあしごと》に思ふのだが、何故かそれも出来なかつた。
『あれはお読みですか、風葉の「恋ざめ」は?』と信吾はまた問うた。
『アノ発売禁止になつたとか言ふ……?』
『然うです。あれを禁止したのは無理ですよ。尤もあれだけぢや無い、真面目な作で同じ運命に逢つたのが随分ありますからねえ。折角|拵《こしら》へた御馳走を片端《かたつぱし》から犬に喰はれる様なもんで……ハハヽヽ。「恋ざめ」なんか別に悪い所が無いぢやないですか?』
『私はまだ読みません。』
『然うでしたか。』と言つて、信吾は未《ま》だ何か言はうと唇を動か
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