う、始終《しよつちゆう》何か喰べて見たい様な気がしまして、一日《いちんち》口案配が悪う御座いましてね。』とお柳も披《はだか》つた襟を合せ、片寄せた煙草盆などを医師《いしや》の前に直したりする。
痩せた、透徹るほど蒼白い、鼻筋の見事に通つた、険のある眼の心持吊つた――左褄とつた昔を忍ばせる細面の小造だけに遙《ずうつ》と若く見えるが、四十を越した證《しるし》は額の小皺に争はれない。
『胃の所為《せゐ》ですな。』と頷いて、加藤は新しい紛※[#「巾+蛻のつくり」、214−上−19]《ハンケチ》に手を拭き乍ら坐り直した。
『で何です、明日からタカヂヤスターゼの錠剤を差上げて置きますから、食後に五六粒宛召上つて御覧なさい。え? 然うです。今までの水薬と散剤の外にです。噛砕《かみくだ》くと不味《まづ》う御座いますから、微温湯《ぬるまゆ》か何かで其儘《そのまんま》お嚥《の》みになる様に。』と頤《おとがひ》を突出して、喉仏を見せて嚥下《のみくだ》す時の様子をする。
見るからが人の好さ相な、丸顔に髯の赤い、デツプリと肥つた、色沢《いろつや》の好い男で、襟の塞《つま》つた背広の、腿の辺が張裂けさうだ。
茶を運んで来た静子が出てゆくと、奥の襖が開《あ》いて、巻莨《まきタバコ》の袋を攫《つか》んだ信吾が入つて来た。
『や、これは。』と加藤は先づ挨拶する、信吾も坐つた。
『ようこそ。暑いところを毎日御足労で……。』
『怎《ど》う致しまして。昨日《さくじつ》は態々《わざわざ》お立寄下すつた相ですが、生憎《あいにく》と芋田の急病人へ行つてゐたものですから失礼致しました。今度町へ被来《いらしつ》たら是非|何卒《どうか》。』
『ハ、有難う。これから時々お邪魔したいと思つてます。』
と莨に火を点《つけ》る。
『何卒さう願ひたいんで。これで何ですからな、無論私などもお話相手とは参りませんが、何しろ狭い村なんで。』
『で御座いますからね。』とお柳が引取つた。『これが(頤《おとがひ》で信吾を指して)退屈をしまして、去年なんぞは貴下《あなた》、まだ二十日も休暇《やすみ》が残つてるのに無理無体に東京に帰つた様な訳で御座いましてね。今年はまた私が這※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《こんな》にブラ/\してゐて思ふ様に世話もやけず、何彼と不自由をさせますもんですから、もう昨日あたりからポツ/\小言が始りましてね。ホヽヽヽ。』
『然《さ》うですか。』と加藤は快活に笑つた。
『それぢや今年は信吾さんに逃げられない様に、可成《なるべく》早くお癒りにならなけや不可ませんね。』
『えゝモウお蔭様で、腰が大概《あらかた》良いもんですから、今日も恁《か》うして朝から起きてゐますので。』
『何ですか、リウマチの方はモウ癒つたんで?』と信吾は自分の話を避けた。
『左様、根治とはマア行き難《にく》い病気ですが、……何卒。』と信吾の莨を一本取り乍ら、『撒里矢爾酸曹達《さるちるさんさうだ》が尊母《おつか》さんのお体に合ひました様で……。』とお柳の病気の話をする。
開放《あけはな》した次の間では、静子が茶棚から葉鉄《ブリキ》の罐を取出して、麦煎餅か何か盆に盛つてゐたが、それを持つて彼方《むかう》へ行かうとする。
『静や、何処へ?』とお柳が此方《こつち》から小声に呼止めた。
『昌作《をぢ》さん許《とこ》へ。』と振返つた静子は、立ち乍ら母の顔を見る。
『誰が来てるんだい?』と言ふ調子は低いながらに譴《たしな》める様に鋭かつた。
(三)の二
『山内|様《さん》よ。』と、静子は穏《おとな》しく答へて心持顔を曇らせる。
『然うかい。三尺さんかい!』とお柳は蔑《さげす》む色を見せたが、流石に客の前を憚つて、
『ホホヽヽ。』[#「『ホホヽヽ。』」は底本では「「ホホヽヽ。』」]と笑つた。『昌作さんの背高《のつぽ》に山内さんの三尺ぢや釣合はないやね。』
『昌作さんにお客?』と信吾は母の顔を見る。
其《その》間《ま》に静子は彼方の室《へや》へ行つた。
『然うだとさ。山内さんて、登記所のお雇さんでね、月給が六円だとさ。何で御座いますね。』と加藤の顔を見て、『然う言つちや何ですけれど、那※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《あんな》小い人も滅多にありませんねえ、家《うち》ぢや小供らが、誰が教へたでもないのに三尺さんといふ綽名《あだな》をつけましてね。幾何《いくら》叱つても山内さんを見れや然う言ふもんですから困つて了ひますよ。ホホヽヽ。七月児《ななつきご》だつてのは真個《ほんと》で御座いませうかね?』
『ハツハヽヽ。怎《ど》うですか知りませんが、那※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−5
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