(十三)の二
二人は暫時《しばし》言葉が無かつた。
静子はそれを、屹度兄の信吾の事とは察した。が、兄の事を思ふだけに、何と訊いて可《い》いか解らなかつた。
稍あつてから、
『え? 何の事私が誤解してるツて?』と静子が再《また》言ふ。
『言はずに置くわ、私。』と、思切り悪く言つて、清子は漸々《やうやう》首を上げる。
『アラ怎《ど》うして?』
『兄の事……ぢやなくつて?』
清子は羞し気に俯向いた。
『清子さん、私何も、貴女の事悪くなんか思つてゐやしなくつてよ。』
『アラ然うぢやなくつてよ。それは私だつて能く知つててよ。』
二人は懐し気に目を見合せた。
『私此の家に嫁《き》た事、貴女|可怪《をかし》いと思つたでせう?』と、稍あつて清子は極悪相《きまりわるさう》に言つた。
『でもないわ……今になつては。』と、静子は心苦し気である。静子は、アノ事あつて以来兄信吾の心が解りかねた。そして、その兄の不徳を、今又一つ聞ねばならぬといふ気がすると、流石に兄妹《きやうだい》であれば辛くない訳に行かぬ。が、又、目の前の清子を見ると、この世に唯一人の自分の友が此人だと言ふ許《ばか》りなき慕《なつか》しさが胸に湧いた。
『済まないわ、このお話するのは!』
『マ清子さん!……貴女|其※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《そんな》に……私になら何だつて言つて下すつたつて可《い》いわ。貴女|許《ばつか》りよ、私姉さんの様に思つてるのは!』
『……私ね……真箇《ほんと》の姉妹《きやうだい》になりたかつたの。貴女と。』
然う言つて清子は静子の手を握る。
『解つてよ。』と、静子は聞えるか聞えぬかに言つて、眤《じつ》と眼を瞑《と》ぢた。其眼から涙が溢れる。
『嬉しいわ、私は。』と清子は友の手を強く引く。二人の涙は清子の膝に落ちた。
そして言つた。『私信吾さんに逢つて頂いてよ、此方《こつち》の方の話があつた時……忘れないわ、去年の七月二十三日よ、鶴飼橋の上の観音様の杜で。』
『………………』
『私|甚※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《どんな》に……男の方は矢張《やつぱり》気が強いわねえ!』
『何と言つて其時、兄が?』
『……此家《ここ》へ来る事を勧めて下すつたわ、アノ、兄様《にいさん》は。』
『マ然う!』と静子は強く言つた。そして、
『……済まなかつたわ清子様、真箇《ほんと》に私……今迄知らなかつたんですもの。』と言ふなり、清子の膝に泣伏した。
『何も其様《そんな》に!』と清子も泣声で言つて、そして二人は相抱いて暫《しばし》泣いた。
『詰らないわねえ、女なんて!』と、稍あつて静子はしみ/″\言ふ。
『真箇《ほんと》ねえ!』と清子は応じた。
二人の親みは増した。
九月が来た。
信吾の不意に発《た》つて以来、富江は長い手紙を三四度東京に送つた。が、葉書一本の返事すらない。そして富江は相不変《あひかはらず》何時でも噪《はしや》いでゐる。
肺を病んだ五尺|不足《たらず》の山内は、到頭八月の末に盛岡に帰つて了つた。聞けば智恵子吉野と同じ病院に入つたといふ。
浜野の家《うち》――智恵子の宿では、祖母の病気が悪くもならず癒《よ》くもならぬ。
お利代は一生懸命|裁縫《しごと》に励んでゐる。時には智恵子から習つた讃美歌を、小声で小供らに歌つて聞かしてる事もある。村では好からぬ噂を立てた。それは、お利代も智恵子に感化《かぶ》れて、耶蘇《ヤソ》信者になつたので、早く祖母の死ぬ事を毎晩神に祈つてるといふので。――そして、祖母の死ぬのを待つて函館の先の夫の許へ行くのだ、と伝へられた。
快く晴れた或日の午前であつた。昌作は浮かぬ顔をして町を歩いてゐた。そして郵便局の前へ来ると、懐から二枚の葉書を出してポストに入れた。――昌作は米国に行くことも出来ず、明日発つて十里許りの山奥の或小学校の代用教員に赴任することになつた。――その葉書は盛岡の病院なる智恵子と山内に宛てたもの。──山内には手短く見舞の文句と自身の方の事を書いたが、智恵子への一枚には、気取つた字で歌一首。
『秋の声まづ逸早《いちはや》く耳に入るかゝる性《さが》有《も》つ悲むべかり。』
渋民村に秋風が見舞つた。[#地から1字上げ](大尾)
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(附記。この一篇は作者が新聞小説としての最初の試作なりき。回を重ぬる六十回、時歳末に際して予期の如く事件を発展せしむる能はず茲《ここ》に一先づ擱筆するに到れるは作者の多少遺憾とする所なり。他日若し幸ひにして機会あらば、作者は稿を改めて更に智恵子吉野を主人公としたる本篇の続篇を書かむと欲す。}
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[#地から1字上げ]〔「東京毎日新聞
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