つて空を眺めた。
『然うだとさ、何の用か知らないが……町へ出さへすれや何日《いつ》でも昨晩《さくばん》の様に酔つぱらつて来るんだよ。』と、我子の後姿を仰ぎ乍ら眉を顰める。
『為方がない、交際《つきあひ》だもの。』と投げる様に言つて、敷居際に腰を下した。
『時にね。』とお柳は顔を柔《やはら》げて、『昨晩の話だね、お父様のお帰りで其儘《そのまんま》になつたつけが、お前よく静に言つてお呉れよ。』
『何です、松原の話?』
『然うさ。』と眼をマヂ/\する。
信吾は霎時《しばらく》庭を眺めてゐたが、
『マア可いさ。休暇中に決めて了つたら可いでせう?』と言つて立上る。
『だけどもね…………。』
『任して置きなさい。俺も少し考へて見るから。』と叱付ける様に言つて、まだ何か言ひたげな母の顔を上から見下した。
そして我が室《へや》へは帰らずに、何を思つてか昌作の室の方へ行つた。
(三)の三
穢苦《むさくる》しい六畳間の、西向の障子がパツと明るく日を享《う》けて、室一杯に莨《たばこ》の煙が蒸した。
信吾が入つて来た時、昌作は、窓側の机の下に毛だらけの長い脛を投げ入れて、無態《ぶざま》に頬杖をついて熱心に喋つてゐた。
山内謙三は、チヨコナンと人形の様に坐つて、時々死んだ様に力のない咳をし乍ら、狡《ずる》さうな眼を輝かして穏《おとな》しく聞いてゐる。萎えた白絣の襟を堅く合せて、柄に合はぬ縮緬《ちりめん》の大幅の兵子帯を、小い体に幾廻《いくまはり》も捲いた、狭い額には汗が滲んでゐる。
二人共、この春徴兵検査を受けたのだが、五尺|不足《たらず》の山内は誰《た》が目にも十七八にしか見えない。それでゐて何処か挙動《ものごし》が老人染みてもゐる。昌作の方は、背の高い割に肉が削《そ》げて、漆黒《まつくろ》な髪を態《わざ》とモヂヤ/\長くしてるのと、度の弱《ひく》い鉄縁の眼鏡を掛けてるのとで二十四五にも見える。
『……然うぢやないか、山内さん。俺は那時《あのとき》、奈何《どう》してもバイロンを死なしたくなかつた。彼にして死なずんばだな。山内さん、甚※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《どんな》偉い事をして呉れたか知れないぢやないか! それを考へると俺は、夜寝ててもバイロンの顔が……』と景気づいて喋つてゐた昌作は、信吾の顔を見ると神経的に太
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